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著者プロフィール


経営者復活途上ストーリー(1)   

阿部 義通


1.会社を失う中で経験したこと

私は2000年夏に会社の自主廃業を決意し、14ヶ月かけて自主廃業を完了しました。

会社は公共事業関係、主に土木用の資材を扱う販売会社で、年間売上げは約25億円、社員は30名ほどいました。政府の公共投資の削減の影響もありましたが、様々な要因が重なって会社は2年連続数千万円の赤字を出していました。3年赤字が続いたら大変なことになります。ですから1999年度は必死の思いであらゆる努力をしました。その結果僅かでしたが何とか利益を出すことができ、一息つきました。

2000年度は黒字化の流れを定着させるべく、「さあ、がんばるぞ」という気持ちでスタートしましたが、第一四半期、売上げ、利益とも大幅に減少、将来の見通しがつかなくなるという事態に直面しました。そして2000年度の第一四半期の終わり頃から手形の決済、つまり資金繰りが特に厳しくなってきました。利益の減少に伴い、最後まで手をつけなかった人員のリストラを実施しましたが、予想以上に大きな波紋が社内に拡がり、社内の雰囲気がおかしくなっていきました。どんどん悪循環に入っていったのです。混乱する社内状況の中で、将来の展望が切り開けない、そのような絶望感を抱きながらも会社を何とか延命させる方法はないものかといくつかの選択肢を検討しました。そして最終的に延命を諦め自主廃業の道を選びました。勿論、自主廃業はそのように願ったからと言って簡単に出来るものではありません。実際自主廃業ができる可能性は低かったのかもしれません。「90%無理だ」という人もいました。自主廃業のための業務は前半の5ヶ月間、意外な程順調に行きましたが、後半の9ヶ月間は胃が痛くなるようなことが続きました。そして奇跡としか言いようのない出来事があり自主廃業は大きな峠を越えました。これは私にとってまさに出エジプトのような経験となりました。

いつ覆るか分からない両側の水の壁の間を歩きながら、一歩一歩進みました。そしてすべてが終わった後、自分の分身とも言える会社を失いました。ホッとすると同時に虚脱感が襲ってきました。債務という檻の中から外に出た時の解放感は一時的で「さてこれから何をやろうか、どのように生きていったらいいのか」という大きな問いが目の前に立ちはだかってきたのです。

自主廃業の作業を進めていく中で、自主廃業が無事完了したら、今度こそ本当に自分がやりたかった仕事で神様が喜んでくださる仕事をしたい、漠然とそのように願いました。そして会社解散終了後、私は困難の中にいる中小企業の経営者を助ける仕事をしたいと思うようになりました。具体的には営業開発の仕事です。なぜなら私自身、中小企業の社長をしていた時、新商品の販売と開発で苦労したからです。私の場合は結局孤軍奮闘という形になりました。中小企業の場合はぎりぎりの人数でやっている場合が多く、新しい仕事に割ける人員が殆どいない、というのが実情だと思います。多くの社長は今迄の商品ではいずれ壁にぶつかる、その前に新しい商品を開発して次の収益の柱にしようと考えます。しか新商品の販売と開発は殆どの場合、失敗します。私の場合も3年間頑張りましたが、力尽きました。失敗により会社も社長も大きなダメージを受けます。場合によっては取り返しのつかない、というケースもあります。どのようにしたら成功の確率を高めることができるか、これが私に与えられた大命題でした。「助ける」ということは無論簡単なことではありません。大きな責任も伴います。気持ちだけで、また自分の狭い経験だけでできるものでもありません。試行錯誤の日々が続きました。現在もその命題に取り組んでいる最中ですが、最近成功のためのセオリーの輪郭が見えてきたように感じています。今迄多くの中小企業、特に小企業、ベンチャー企業の経営者にお会いしました。そして気付かされたことが多々あります。またいろいろなやり方を実験してみました。その結果を目下集大成しているところです。もう少し早くそれができれば良かったのに、という思いがありますが、私の場合はそれだけの時間が必要だったのかもしれません。

次回以降

2.自分を見つめる苦しさ

3.変えられていく自分

4.天職の手ごたえ

                                     以上                                     

 

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