天地創造

 


目次

◆天地創造
◆アダムの創造
◆女の創造
◆蛇の誘惑
◆楽園追放
◆楽園追放
◆カインとアベル
◆ノアの箱舟
◆大洪水
◆鳩を放つ(ミレイ)
◆鳩を放つ(ドレ)
◆ノアの祭壇
◆受胎告知
◆羊飼いの礼拝
◆東方三博士の旅
◆三博士の礼拝
◆エルサレム入城
◆弟子の足を洗うキリスト
◆最後の晩餐
◆ゲッセマネの祈り
◆聖衣剥奪
◆十字架の下での悲しみ
◆十字架降下
◆我に触れるな
◆キリストの洗礼1
◆キリストの洗礼2
◆悪魔の誘惑
◆ペテロとアンデレの召命
◆マタイの召命

日本聖書協会発行『アートバイブル』より
『アートバイブル』の絵の使用については、当サイトより日本聖書協会に申請をして、同協会より許諾を得ています。」2007N10010 ●聖書からの黙想は、:坂野慧吉著「創世記」『新聖書講解シリーズ:旧約1」(いのちのことば社発行):を参照しています。

「名画で巡る聖書の旅」

バイブル・アンド・アート・ミニストリーズ / 代表 町田 俊之

■第1回 ミケランジェロ「天地創造」(1508-12年、システィーナ礼拝堂)

◆聖書箇所:創世記1:14〜19節

◆創世記1章全体の記述から
  第一は、創造は神の主権によって「天地」が造られ、神のみことばによって成されていることである。すべてのものは神のことばによって存在し、神のことばによって支えられているのである。第二は、最初は形がなく、何もなく、闇と水だけであった「地」を、神は一つ一つ整えていかれたことである。そしてそれは、人間の生活にリズムを与える太陽と月、海と大空に住む生き物、最後に神元に最も近い地上の生き物というように、人間が生きていくことができるために、一つ一つ準備がなされたのである。第四にすべての創造の中心は人間であり、他のものは何らかのかたちで人間のために、人間との関わりにおいて創造されていることである。そして第五は、この創造の全体は神のみこころにかなったものであったということである。
 
◆ミケランジェロ(1475-1564年)について
フィレンツェ近郊の生まれ。彫刻、絵画、建築に超人的な活動をしたルネサンスの巨人。当時のフィレンツェで活躍していたギルランダイオの弟子。メディチ家やローマ教皇の庇護を受ける。絵画ではヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画、壁画はミケランジェロの力量を表わしている大作である。

◆システィーナ礼拝堂について
  この作品は、システィーナ礼拝堂(イタリア、ヴァチカン)の天井の壁画の一部である。システィーナ礼拝堂は15世紀後半に教皇ユリウス2世の叔父の教皇シクトウス4世がソロモン神殿を模して建造したものである。この礼拝堂は、教皇の個人ミサと枢機卿による教皇選出会議が行われる教皇庁の宗教的心臓部である。
  後のユリウス2世は、天井画の完成を希望し、ミケランジェロに制作を命じた。彼は初め固辞したものの、結局引き受けるや1508年からまったく独創的な作品を創出した。4年に渡る激しい創作作業の末、1512年に天井画はついに完成した。彼の作品が除幕されたとき、その印象は人々に畏敬の念を起こさせた。人々は何百キロメートルにもおよぶ旅をして、この天井画を見に訪れたという。
 
◆ルネサンス時代の美術の特徴について
  ルネサンスとは、中世も終わりに近い紀元1300年頃にイタリアで起こった目覚ましい啓蒙運動であった。この頃からギリシャ・ローマ時代の古典に対して新たな関心が呼び起こされてきた。この古典の研究こそ、その時代の不安を払い除けるものであると確信する。当時の人文主義者たちは、人間自身を支配すべきものは、今を生きる独立的な精神(自律)であるとし、ややもすると来世のことのみにとらわれがちな中世の人生観から、現世での生に関心が向けられていった。
  これが美術の世界においては、人間と自然に着目した新しい表現が生まれた。絵画の主題は、聖書とともに古典神話にまで及び、現実の人間に対する興味から肖像画も盛んに作られた。また、人間と世界をあるがままに理解し、表現しようとする中で、数学、幾何学、解剖学、遠近法などが発達した。また、もう一つの特徴は、中世時代の無表情で無機的な表現から、古典ギリシャ・ローマ時代のように理想的な肉体美として、また人間味ある表情を伴って描くようになる。

◆聖書と絵画からの黙想
<神の権威と威厳>
  この場面は、具体的には創世記1章14節から19節に記されている「太陽と月の創造」である。神の右の手が指しているのが太陽で、左の手が造り出しているのが月である。神の周りには天使がおり神の言わんとしていることを聞き逃さないように神を見つめている。
  この絵から感じ取ることができることは、まず何よりも創造の神の厳しい表情ではないだろうか。それが見る者を圧倒して「恐ろしい」ほどである。ここには、ご自身の最高の知性と不屈な意志をもって天地のすべてのものを造られる神の圧倒的な迫力を感じる。この「恐ろしさ」を通してミケランジェロは、神の絶対者、唯一者、主権者、そして創造者としての姿を表現しようとしたのではないだろうか。また、被造物に向かって差し出される指は、神の絶対的な権威を表わし、神によって造られなかったものは一つもなく、すべてのものは神によって造られたことを示し、またそれらの被造物を神は支配しておられることを表現しているものであろう。
  この世界は、神のご計画と意志に基づき、完全なるよき世界が造られたのである。この世界に存在するものは、すべてを神に負っているのである。

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