第1話 − 富の源
私は高校に入学して最初の授業で、クラス全員の前で先生にバカにされた経験がある。たしか社会系の授業であったが、先生がいきなり「世の中の価値は何によって生み出されると思うか?」と質問した。私ひとりがすぐに手を挙げたので、それだけで先生は驚いたのだが、「初めに、神が天地を創造された(創世記1:1)ので、全ての価値はそこから始まります」という私の答に先生はさらに大きなショックを受け、「おい君!この科学の時代にどうしてそういう話をするのかね?」言った。科学を知らない無学な私が、県下一ニと言われる進学校に間違って入学したのではないかと疑うような目つきだった。しばらくの沈黙の後、先生自らが答を出した。「世の中の価値は、労働によって生み出されるのである」と。まじめな学生達はすぐさまその答をノートに書き留めた。「黙っていれば良かった。クラスメートも皆私を軽蔑するかも知れない」と内心不安になったが、驚くことに、そのうち20人が私の通っていた教会の英会話クラスに参加するようになった。そして私と同じ価値観を持つようになった学生もいる。
私は先生の答に疑問を感じた。確かに全ての人は労働することにより収入を得ることが出来、富も蓄えることが出来るようになる。でも労働だけでは価値を生み出すことは出来ないのではないかという直感的な思いがあった。たとえば末端価格1000円のあわびの場合、漁師は海底にもぐり収穫するという作業(労働)をする。そしてその労働の代価を400円とし、仲買業者に400円で売る。仲買業者は仕入れて魚屋さんに卸すという労働の代価を200円と定め、600円で卸す。そして魚屋さんはお客さんに売る労働の代価を400円と定め1000円で売る。これが経済の仕組みだが、もし漁師が1個のあわびを得るのに1000円を支払わなければならないとしたら、漁師、仲買人そして魚屋さんの労働は一切価値を生み出さないことになる。それぞれの労働が価値を生み出すためには、富の循環の出発点が無料でなければならない。すなわち漁師はあわびを無償で手に入れる必要がある。
私はあの先生の発言を聞いて以来、ますます「初めに、神が天地を創造された」という聖書のことばの重要性を、実感するようになった。農業、漁業、林業、鉱業と言った富の循環の出発点、すなわち第一産業は、全て無償で物を手に入れるところから始まる。であるから知的産業、サービス業そしてエンターテイメント業に到るまで富が循環するのだ。火力、水力、原子力、風力といったエネルギー源も無償で与えられている。地球のいとなみの全てに関わる太陽光は、一瞬たりとも途絶えることなく地上に注がれている。勿論生命維持に必要な水や空気も無償である。このように始めに全てが創造主なる神によって無償で提供されているので、人間の労働が富を生み出す結果となるのである。
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