第35話 十字架とビジネスの関係
建物に十字架が付いていれば教会だとわかり、墓地に十字架があれば、埋葬されている人はクリスチャンであったとわかる。もちろん十字架はキリストの処刑の手段であり、人の罪の許しがもたらされた場所でもある。聖書から十字架の出来事を取り除いたら、聖書でなくなってしまうし、人類から希望が消えうせてしまう。
私はその十字架に付加的意味を見るようになった。十字架をアクセサリーとして身に付けている人がいるが、もちろんそんなことではない。実は十字架の付加的意味が、ビジネス成功に絶対的に必要なものである。十字架は縦の線と横の線が組み合わされたものだが、それがまさにキリストが最も大切な戒めとして我々に教えたことである。マタイの福音書22:37-39でキリストは「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛す」ことがたいせつな第一の戒めで、「あなたの隣人をあなた自身のように愛す」ことが第二の戒めで、同じように大切であると言った。すなわちこれら2戒より大切な戒めは無いとキリスト自信が言明しているのである。第一の戒めは縦の関係、そして第二の戒めが横の関係で、それらふたつは十字架の形そのものになる。
これさえ知っていれば、人生もビジネスも成功する。人間関係で問題を起こす人は、例外なくキリストの2戒を破っている。殺人も泥棒も嫉妬も約束を破ることも、全てが2戒に違反している。逆に人格者と言われている人は、2戒を生きている人達である。マザーテレサなどがその典型例だ。でもビジネスの真の成功者達も、2戒を守っている人である。デールカネギーの本にはビジネスに成功した人達が何をしたかが書かれているが、彼等の共通点は、相手の望むことを察し、それを提供したことである。人は自分に関心を示さない人に引き寄せられることはない。ましてや自分から何かを奪い取ろうとする人には敵意さえ覚える。もしビジネスに失敗したければ、2戒を破れば良い。でもビジネスに成功したいと思っていても2戒を破れば、人々は去って行く。成功の秘訣は2戒しかない。
我々は、聖書をビジネス書として読むことはめったにない。なぜなら信仰生活と経済活動が分離しているからだ。でもどちらもひとりの人物の中にあり、切り離すことは出来ない。もし仕事と信仰の狭間で葛藤している人がいるなら、それほど惨めなことはない。それはひとつの人格を分断しているのに等しい。聖書の教えは全人格的なものであり、何ひとつ分離することが出来ない。もしキリストの2戒が我々の人生の生き方であるなら、それは同時にビジネスの仕方でもある。そしてそれは、我々に人生の成功とビジネスの成功のどちらをももたらせる神の約束でもある。
私自身、キリストの2戒をどれほど守れているかわからない。でもビジネスでも成功したいから、2戒という十字架だけは決して忘れないようにしようと思う。
top