第41話 All in One Basket
「キリスト教が愛と赦しと寛容な宗教であるなら、なぜそんなにも多くの教団があるのか?」という質問を受けたことが何度かある。確かにカトリック、カリズマ派、福音派といった大きな分類だけでなく、「〜教団」と名の付くものが数えられない程ある。私は長い間その質問に答えることが出来なかった。けれど、"Don't
put all the eggs in one basket.(全ての卵をひとつのかごに入れてはいけない)"という教訓を得た時、その謎が解けたような気がする。全ての卵をひとつのかごに入れた場合、そのかごを落としたら全てを失ってしまう。それゆえ、大切な物は分散して保管しておかなければならという教えだ。
私はこの教訓を重視しなかったために、借金を抱えたまま持ち金のほとんどを失うという大失敗を犯してしまった。5〜6年前に、今後仕事のことであくせくしないで思い切りミニストリーに身を投じようと思い、資金運用の最後の賭に出た。私の愚かさは、全ての所持金をひとつの投資に集中させてしまったことだ。プロの経済評論家がこぞって「今は買いの時だ」と言っていたので、そのことばを100%信じてしまった。その結果、全てを失う羽目になった。そしてビジネスのゼロからの出発を余儀なくされた。幸い私には決して奪われることの無い信仰と英語習得に関する知恵と知識と経験が残されていたので、YouCanSpeak
という英語習得のシステム(http://www.youcanspeak.net/)を開発し又特許申請をして、新たなビジネスを開始することが出来た。今までの損失を取り戻し、10倍にすることはそんなに容易ではないが、同じ失敗だけは決して繰り返さないつもりだ。
第二次世界大戦の時、ドイツ軍の飛行船は地上から銃撃されてもなかなか墜落しなかったらしい。その理由は、数多くの小さな風船を束ねて飛んでいたので、銃撃されても一揆に揚力を失うことが無かったからだ。キリスト教に多くの教派・教団が存在するのは好ましくなく、又聖書自体も分裂分派は禁じている。でもそれが教会の安全性を保っていると考えることも出来る。もし全ての教会が統一され、一人のリーダーに従うようになった場合、そのリーダーが道を誤れば、全ての教会が堕落してしまう。宗教改革が必要になった理由は、まさにそこにある。異なる意見が封じられる状況はとても危険である。宗教でも国家でもカリズマ的権威を持った独裁的リーダーが現れると、暴走し歯止めが利かなくなる危険性がある。オウム真理教の反社会的行為も、リーダーへの絶対的忠誠心によってもたらされた。独裁国家も、国民全体が独裁者というひとつのかごに入れられた状態なので、とても危い。日本は独裁国家ではないが、中枢機関が東京に集中しているので安全な国とは言えない。大地震が起これば国が麻痺してしまう。
ビジネスでも教会でも国家でもあるいは個人財産でも、分散はとても重要ではないだろうか。卵は分散させないと、一発勝負のギャンブラーと同じになってしまう。