第59話 起こらないことへの投資
我々には「一度も体験したことが無い」事が多い。でも「体験したことが無い」という事実は「起こらない」ことを保証しない。何かが起こるか起こらないかは、体験ではなく確率の問題である。心構えを体験にだけ頼ると大きな失敗を犯すことになる。
私は磯釣りをしていた人が突然高波に襲われて命を落とすというニュースを聞く度に、確率を無視したことの恐ろしさを感じる。我々は海の波の高さを目で確認することが出来る。そしてその波が届かない場所で釣をすれば安全だと考える。でも波は一方向からやって来るとは限らない。2つの方向から波が押し寄せて来る場合、何回に1回は波の山と山が重なって突如高波に変わる。これは目で予測することが出来ないので、発生の確率を計算に入れていない人は、命を失うことになる。
私は今まで何十年もの間「自動車保険」「火災保険」「生命保険」のために多額のお金を支払って来た。でも交通事故も火災も病死も事故死も一度も体験していない。今後も「死」以外は体験しないかも知れない。でもそれらの災いが起こる可能性が0%でない限り、起こった時の備えが必要となる。0%で無いということは、起こる確率〜%ということになるからだ。実際保険会社が掛け金を計算する時、事故発生の確率を綿密に計算して算出する。この確率を無視すると、保険業は成り立たなくなる。ここで問題になるのは、一度も自分の身に降りかかることがないかも知れないことのために投資することだ。確率が低ければ低いほど、無駄な投資に思えて来る。でもユダヤ人の間には「起こらないことへの投資には価値がある。そして起こらなかったことのためにお金を費やしたことを感謝する」というような格言があると聞いた。これは結果的に高波が来なかったけれど、高波が来ても大丈夫な場所で釣をした人が、多少海面から遠くてもそこで釣が出来たことに感謝するのに似ている。
私は高速道路で運転している時、「一度も交通事故にあったことの無い」ドライバーの無謀な運転に腹が立つ。彼等は同じ行為を繰り返していれば、何度かに1度は大事故が起こるという「確率」が念頭に入っていない。体験にだけ頼るドライバーが何て多いことだろう。でも我々は知らず知らずにビジネスにおいても、日常生活においても同じようなことをしている可能性が高い。可能性が100%なのに0%であるかのごとくに思っている典型的な例が「死」であろう。なぜなら今生きている人は、例外なく一度も死んだことがないからだ。我々は死を体験したことのある人と会話することは出来ない。でも死の発生率は100%だ。生命保険は、残された家族のための備えだが、自分自身のための投資もある。これは起こらないことのための投資ではなく、起こることのための投資だ。その投資金はすでにキリストによって支払われていることのすばらしさは、計り知れない。
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