ゴスペルストーリー



菅野直基

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「不良少年から牧師へ」

菅野直基

   

 新宿

「新宿駅前をご通行中の皆様、クリスマスは何の日かご存知でしょうか。あなたを愛しておられるイエス・キリストの誕生日です」

 キリストの誕生を祝うクリスマスの25日夜、新宿福興教会の菅野直基牧師を中心とした7人のクリスチャン有志が東京の新宿駅前に集まり、ギターとベースによる賛美とメッセージで通行人にクリスマスの本当の意味を伝えた。

 「私たちが今夜みなさんにお伝えしたいのは、イエス・キリスト。みなさんに元気を与え、勇気を与え、力を与え、すべての苦しみから救ってくださる方です」「あなたは愛されているんですよ」――菅野氏は、通行人一人ひとりと目を合わせながら主の愛を訴えた。
  「もろびとこぞりて」「きよしこの夜」などの耳慣れたクリスマスソングに思わず足を止めて聴き入る通行人の姿も。同教会の案内を同封した伝道用クリスマスCDを配布しながら、凍える寒さの中、約2時間にわたって伝道を続けた。

〔クリスチャントゥディ誌 2007年クリスマスに掲載〕


証のチカラ
新宿福興教会
牧師 菅野直基さん

不良少年から牧師へ
(前編)

 私の母の父は牧師でした。父は神主の家系に生まれましたが、蓄膿症の手術の失敗が原因で半身不随になったのを機に信仰を持ちました。そんな両親は私を、「キリストに向かって真っ直ぐに歩んで欲しい」という願いから直基と名付けられました。両親の期待は大きく、私は、クリスチャン・ファミリーの長男として、厳しく教育されました。そして、いつしか生きることに息苦しさを感じるようになりました。
  体が弱い私は、小学校の頃から、学校を休むことも多く、仲間外れやいじめに会いました。学校が嫌いになり、遂に登校拒否をするか仕返しをするかの選択をせざるを得ない事態に追い詰められました。思い切って殴りかかると、相手をやっつけることができ、いじめは止みました。しかし、今度は反対のいじめる立場に立つようになり、さらに、公園での焚き火や万引きなど、様々な悪い遊びを覚えました。
  中学生になり、不良グループと付き合うようになりました。ナイーブで人の影響を受けやすい私は、不良の道をひたすら走り、たばこやお酒を覚え、シンナーもやるようになりました。彼女もできました。喧嘩、万引き、窃盗、無免許運転、不良中学生がやるようなことはみなやりました。不良グループから抜け出したいと思うこともありましたが、仲間はそれを許してはくれません。また、今更更生したところで、いい高校に入れるわけではなく格好も悪いため、そのまま不良の道を進まざるを得ませんでした。
  高校の通信教育で学びながら、私は毎日8時間、そば屋で働きました。社会に役に立っているという充実感から、自分に自信を持てるようになりました。他に、日雇いの草むしり、コンビニエンスストアの店員、築地の市場での配達、トラック運転手、宅急便の配達員、デパートでの掃除、ファミリーレストランのウェイター、お弁当配達等も経験しました。これらの経験は、どれも必要なことだったと思います。
  暴走族ややくざとの関わりもできてしまいました。ある日、やくざから監禁され、暴行され、半殺しの目に会いました。自分の居場所を失った私は、「もう死んで消えてしまいたい」と思うようになりました。同時に、何とかこの苦しみから救われたいと思いました。
  ふと本棚に目をやると、一冊の聖書がありました。もう何年も教会に行っておらず聖書も読んでいませんでしたが、わらにもすがる思いで聖書を開きました。マタイの福音書11章28節に私の心が求めていた言葉が書かれていました。その言葉を語られたイエスというお方に救いを見出し、お祈りをしました。すると神の愛に圧倒され、夜が明けるまでぼろぼろ涙を流して祈り続けました。死にたいという思いはなくなり、生きる意欲が湧き上がってきました。
  その喜びがあまりにも大きかったので、路上でギターを弾きながら道行く人たちに福音を語りました。教会でも機会がある毎に神さまが私にして下さったことを証しました。18歳の時でした 
  20歳の時に、町で声をかけられ、「芸能界に歌手デビューをしてみないか?」と言われました。音楽大学で音楽を勉強しようと思いました。しかし、神さまにお祈りをしていると、「牧師になって、多くの人に神さまの言葉を語りなさい」という導きを感じました。葛藤の後に、神さまの導きに従い、音楽大学と芸能界への道を諦め、神学校に入学しました。20歳の春、私は生涯を神さまに捧げました。メッセージ

〔リバイバル新聞 2008年1月1日新年号に掲載〕

 証のチカラ
  新宿福興教会
  牧師 菅野直基さん

神さまと共に歩む人生(後編)

 小学校の頃から勉強嫌いでしたが、神学校に入学してからもしばらくは勉強が嫌いで、いい成績を取ったことはありませんでした。ある日キリスト教の集会で、生き生きと輝いているクリスチャンの姿を見て、自分もそのようになりたいと思い、神学生である自分が恥ずかしくなりました。そして「私もそんなクリスチャンにさせて下さい」と時間の感覚を失うほど祈ったとき、天国にいるような感じになり、嬉しくてたまらなくなりました。私はすっかり変えられました。本来の才能や能力が目覚め、勉強も好きになりました。
  26歳の誕生日に、韓国人女性と国際結婚をしました。出会いはその一年前の夏でした。毎週土曜日に私は、新宿駅アルタ前の路上でギターを弾き福音を語っていました。たまたま韓国から短期宣教のため来日中の120人のチームも一緒に参加しました。チームの一人が彼女だったのです。出会いのチャンスはたった一回でした。その日私は疲れていましたが、今日もどうしても伝道をしなくてはいけないとの気持ちに駆られ、新宿で福音を語りました。そこに韓国人宣教チームが合流し、一緒に伝道したのです。帰りがけに、「文通しませんか?」と彼女に言われ、「いいですよ、ぜひ文通しましょう」と私は喜んで答えました。タイミングが少しでも狂っていたらあり得なかった運命的な出会いは、神さまが引き合わせて下さったのです。その後半年間、日本と韓国で、1‐2週間に一回程度の割合で日本語での文通をしました。当初は真面目な話題が中心でしたが、クリスマスの頃にはラブレターになりました。翌年4月に、彼女は宣教師として来日しました。突然、「今成田空港です。ぜひ迎えに来てほしい」と電話が入りました。それから互いに祈り、3カ月後に結婚しました。結婚後は理想と現実のギャップに驚き苦しみました。文通ではよい部分だけを見せ合いましたが、いざ一つ屋根の下に生活すると、互いに受け入れ難い部分を知ったのです。
  国際結婚と同時にアメリカ留学が始まり、ダブルのカルチャーショックでした。日韓関係は、似て非なる国という表現がピッタリです。結婚生活では情緒面や価値観など、あらゆる面でぶつかり傷つけ合い、たくさんの痛みを経験しました。互いに許せない部分を相手の中にいくつも見、「このように振舞うべきである!」と言い合い喧嘩しました。しかし、そのような中でたくさん祈り、高慢な自我が打ち砕かれ、神さまだけを信じるように導かれました。向上心が沸き、勉強も頑張りました。神学校の教室では学べない実地科目(愛と赦しと忍耐の実践)を結婚生活を通して学ぶことができました。
  離婚をしても不思議ではない最悪の時期が続きましたが、結婚2年後、妻の妊娠を機に関係は改善に向かいました。喧嘩をやり尽くした後だったためすべてが最も良く、神さまの計らいを感じました。長女、長男、次女が生まれ、2007年には次男が生まれ、四児の父親になり、最高の幸せを感じられるようになりました。
  神学の勉強は、計16年間続けました。まず大学を卒業し、次に大学院を卒業して修士号と博士号(D.Min)を取得しました。神さまと共に歩めば、必ず与えられた使命を成し遂げることができると確信しています。これは人生の新しい始まりに過ぎません。神さまに与えられた可能性を、一回の人生の中で残さず成し遂げて行きたいと思っています。

〔リバイバル新聞 2008年1月20日号に掲載〕


 

 

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