―連載にするにあたって―
『2つのJ』から『3つのJ』へ
この度、BMP事務局長である穂森宏之氏より『武士道とキリスト教』と題して連載をするように依頼された。穂森氏は筆者の処女作『われ21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ出版)を大胆に世に出した人物でもある。
今回、この本がきっかけで、筆者は新渡戸稲造5,000円札が消える年、また南原繁没30年にあたる今年(2004年)を記念として設立された「新渡戸・南原」基金の『第一回新渡戸・南原賞』を受賞することになった。不思議な出会いである。その穂森氏に連載を頼まれれば借りを返す機会でもある。つまりこれこそ『サムライ精神』でもありましょう。『借りたものは必ず返す』気概である。巷では、『武士道』関連の本がよく売れているとのことです。『武士道』には、いろいろとありますが、筆者にとっての『武士道』とは、「新渡戸稲造」です。本連載の『武士道』は新渡戸稲造(1862-1933)をイメージして頂ければ幸いです。この『武士道』は1900年英文『Bushido-The
Soul of Japan』で発刊されたものです。訳本も最近いろいろと出版されていますが、筆者にとっては「矢内原忠雄」訳(1938年)であります。
南原繁著作集(全10巻)の第9巻は『日本の理想』が全体のタイトルです。目次は『日本国憲法』、『政治と社会』『教育と文化』、『人と書物』の4章からなっています。『人と書物』の中に『内村鑑三先生 生誕百年に思う』(1961年 日本テレビ放送で述べたもの)という項があります。そこには2つのJ(イエスと日本)が述べられています。
『私に愛する2つのJがある。そのひとつはJesus(イエス・キリスト)であって、他のひとつはJapan(日本)である。』内村鑑三にとって前者の「J」は1877年に学んだ札幌農学校のクラーク精神が起点であり、後者の「J」は1861年上州高崎藩の武家の家に生まれたことに由来するものであります。いわゆるこれが日本的キリスト教でありましょう。
現代はあらゆる分野で『ほんもの』への回帰が高まる様相を呈しているのではないでしょうか。昔(かつて)日本人にとって『論語』がそうであったように、『聖書』があまねく人々に読まれる時代が将来来る予感がします。源信、法然、親鸞の『絶対他力の信仰』に『十字架』を「接木」する。まさにこれこそ、日本における『旧約』から『新約』への時の到来ではないでしょうか。「明確に目標を与える」ことに、日本の将来はかかっているのではないでしょうか。「目下の急務は」は、『決勝点を見通した視点』を持つことです。ちなみにwifeはJeanであり、筆者にとっては『3つのJ』であることも不思議な『摂理』でありましょうか?
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