はじめに
名伯楽と呼ばれる人がいる。身近なところでは女子マラソン界で有森裕子や高橋尚子を育てた小出義雄監督、土佐礼子や渋井陽子を育てた鈴木秀雄監督などがその良い例である。彼らは、選手が持つ資質を最大限に引き出し、その人らしい花を咲かせる触媒のような存在である。そんな伯楽=コーチに出会えた選手は幸せである。
筆者の好きな言葉の中に「すべての人間はその人らしい花を咲かせ実を結ぶために造られた」という言葉がある。人間の存在目的の実現のためにサポートすることは、その人を本当に愛する事であるといえる。今回のテーマであるコーチングは、人を愛し仕えたいと願う心が出発点であると考える。
コーチングの語源と歴史について
コーチ(coach)が英語のボキャブラリーに登場したのは1500年代のことで「馬車」という意味であった。そこから「大切な人を現在その人がいるところから、その人が望むところまで送り届ける」という動詞としての意味が派生したと言われている。スポーツの分野で使われ始めたのは1880年代で、マネジメントの分野で「コーチ」という言葉が使われ始めたのは1950年代のアメリカであった。その後1990年代後半から日本においてもコーチングへの関心が高まり、現在ではビジネス界のみならず、あらゆる組織・団体にまで浸透するようになった。
コーチングとは何か?
コーチングについては様々な定義が存在しているが、その代表的なものを紹介したい。
コーチングの世界的権威であるティモシー・ガルウェイは「コーチングとは、会話と人としてのあり方を通じて、相手が本人の望む方向に向かって、本人の納得するやり方で進んでいくことを援助する技術である」、そして「コーチングとは、相手が最大限の成果を創り出す潜在能力を解き放つことである。その人に教えるのではなく、自分自身で学ぶのを援助することによってこれを実現する」と語っている。またピーター・ドリッサーは「コーチングとは、問題解決に繋がる新たな洞察を相手が発見するように援助することである」と言っている。ICF(国際コーチ連盟)では「コーチングとは、個人及び組織が急成長し、さらに満足できる成果を創り上げることを手助けする対話型のプロセスである」と定義している。
このコーナーではコーチングを「相手の可能性を引き出し、その人の成長と自立をサポートするコミュニケーションスキル」と定義づける。
またコーチングを二つに大別すると、「パーソナルコーチング」と「ビジネスコーチング」に分けることが出来る。「パーソナルコーチング」はプロのコーチが、クライアントから報酬を受け取り、その人の目標の設定や達成をサポートしたり、直面する問題や悩みの解決を促進することである。片や「ビジネスコーチング」は企業・組織におけるマネージャー層が、日常のマネジメントの中で業務目標を達成していく一方で、メンバーや後輩の指導育成に取り組むことを指している。
このコーナーではやや「ビジネスコーチング」に力点を置いた展開を試みている。
なぜ今コーチングなのか?
ここでコーチングが求められるようになった背景について少し触れておきたい。まず時代や環境が大きく変化し、経営上の「最適解」が出しにくくなったことが挙げられる。ITの発達やネット社会の到来で、これまでの仕事のスピードが加速し、やり方も全く変わってしまった。さらに複雑系という環境の下で、企業経営者は成長に繋がる「解」を出しづらくなった。ピーター・センゲが語ったように「トップの位置で事態を読み、他のみんながこの“大戦略家”の指示に従うといったやり方ではもはやとうてい対処不可能なのだ。これから本当に抜きん出る組織は、あらゆるレベルのスタッフの意欲と学習能力を生かすすべを見出した組織となるだろう」という言葉通りである。今という時代の「解」はトップから生まれるというより、常に移り変わる顧客に日々接触する現場スタッフの「仮説・検証モデル」やスタッフ間の「共同学習」や「連携スタイル」から生まれてくるのである。
当然マネジメントの方法もこれまでの「指示命令型マネジメント」からの脱却を迫られ、「逆ピラミッド型組織」の考え方が発揮できる組織にシフトされる必要が生じて来た。“コントロール”から“エンパワーメント”へのシフトである。
それに伴い個々人の働き方も、自ら考え自発的・主体的に動ける自立(自律)性と自己責任意識が求められるようになって来た。この自立(自律)性と自己責任意識を引き出し、個々のモチベーションを高めるための最適なコミュニケーション手法として、今コーチングが注目を浴びているという背景がある。
※ 補足:エンパワーメントとコーチングの関連性
エンパワーメントとは、個々の能力に見合った権限を委譲することであり、相手をパワーアップさせることである。その為には、自ら考え、自ら学び、自ら行動できるような「コミュニケーション環境」を整えなければならない。コーチングは、相手をエンパワーするという特定の目的の下で用いられた時、最もその効力を発揮するコミュニケーション手法である。
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