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川端 光生



Quiet Time

聖書から励ましの言葉
覚えるための聖書
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1 −毎日1節の学びー
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拒絶を恐れない

誰もそうだが、拒絶されることは、辛く悲しく苦しい体験である。一度も拒絶されたことがないという人はいないだろう。人は、生まれたときから誰かに拒絶される人生を歩む。まず、生みの親や血を分けた兄弟に拒絶されるかもしれない。保育園、学校に入ると、同級生や教師に拒絶されるかもしれない。身体能力や学力や見かけで拒絶される。異性に、同僚に、親友に拒絶される。そして高校や大学に、会社に、社会に、そして日本の外に出れば、外国にも拒絶される。

なぜ拒絶されるのか。それは、私たちが罪の世界に住んでいるからである。この世に生まれたかぎり、この世の基準で、拒絶されることは避けえない。それゆえ、拒絶は当然と受け流す方がいい。拒絶されたからといって、不幸にならなければならない理由はない。自分を拒絶した人を憎まないように努めよう。憎むから、拒絶が私たちを不幸にする要因になってしまうのだ。すべての拒絶にいちいち傷ついていたら、生きてはいけない。

私たちは、人に拒絶されても、傷つかず、憎まずに済ますことができる。それは、この天地の創造者である神に受け入れられているからである。私たちは「迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない」(IIコリント4・9)。キリストだけは、絶対に私たちを拒絶なさらない。この保証が私たちを、この世の拒絶に対して強靭にする。

この保証があるなら、人の拒絶さえも益に変えることができる。忍耐し強くなる訓練の場、愛と義において成長を遂げる機会にできる。主は、それゆえ、私たちがこの世に拒絶されたのを許しておられるのだ。拒絶されるから、私たちは別の道に導かれ、そこで花を咲かせ、実を結ぶことができる。あとで、そこが最善の場所と知ることになる。

拒絶を活用しよう。自らを省みる機会としよう。信仰を成長させる糧としよう。最善の道に進む人生の分岐点にしよう。拒絶されている人を受け入れる寛容な心を養おう。ユダヤ人に拒絶されていたサマリヤ人が、ユダヤ人を助けたように。



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