「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネによる福音書15:12〜14)
Albert Camusの書いた「友情」の詩に「私の前を歩かないでください。ついて行けないから。私の後を歩かないでください。あなたをリードできないから。私と一緒に歩いてください。そして私の純粋な友になってください。」友という者は、お互いに信じ、一緒に食事をしたり、一緒に夢を語ったり、一緒に祈ったり、悩みを聴き、喜びも悲しみも分かち合うことができるのです。ただそれだけで慰められ、勇気が湧いてくるのです。人はそんな友を求めているのではないでしょうか。
アブラハムは信仰と行いによって信仰の父と呼ばれています。あなたが知っているとおり、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。」(ヤコブの手紙2:21〜23)
イエス様は弟子たちを友と呼んで、御心を知らせて下さった。われわれも同じように御心を知らされています。その御心とは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」
「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」という言葉はイエスの約束です。
黙想:心の友の関係をどのように保っていすか。
賛美:讃美歌 312 「いつくしみ深き」
祈り:主よ、いつもあなたの友でありたいです。アーメン。