「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」(ローマ人への手紙12:1~2,10~)
教会は神を礼拝するところです。礼拝は霊と真をもって捧げることです。真とは自分をさらけ出す態度であって、神学とか理論に隠れて第三者の立場で神の前に立つのではなく、神と私の立場で神の前にストレートに立つことだと榎本先生が云っております。そのとき神にイエスかノーと応答しなければなりません。
この真理を日常生活に適応すれば,まず教会員にたいしては、「兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合うことです。また、貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなすことです。」主を愛するように行うことが主を礼拝する具体的な表現ではないでしょうか。
教会外にあっては、「だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図ることです。また、あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごすことです。」「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。」なぜなら、主が言われる。「復讐はわたしのすることである。むしろ、もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。」そうすることによって人は最終的には悔い改めて神に帰ることになるからです。
黙想:神を礼拝することと生活はどのように関係あるのでしょうか。
賛美:聖歌 590 「すくいぬしイエスと」
祈り:主よ、実行は難しいけれど、聖霊に励まされて実行したいです。アーメン。