モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。主は彼に言われた、「だれが人に口を授けたのか。話せず、聞えず、また、見え、見えなくする者はだれか。主なるわたしではないか。それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。(出エジプト記
4:10〜12)
今モーセはホレブ山にいます。その時モーセに神の召しがありました。その召しとはエジプト王パロへの神の使者となり、彼の民イスラエル人を自由へと導くことでした。モーセは40才の時、同胞を助けようとして殺人罪を犯し、ミデアンの地に逃れて、はや40年、今80才になったのです。もしかしたら彼は羊飼をしてこのまま静かに人生を全うしようと考えていたかも知れません。
あれほどの才能に恵まれ、正義感を身につけ、生粋のヘブライ人として誇りを持っていた彼が何故神の召しを断ったのでしょうか。それはその命令があまりに大きな仕事であったからでしょう。けれども神はモーセに迫ります。確かに指導者は民を説得する言葉に力がなければなりません。神さまは言いました。「だれが人に口を授けたのか。・・・主なるわたしではないか。」
遂にモーセは悟ります。神さまがすべてを備え導いてくださることの証を見せられ、エジプトへ旅発ちます。もはや自分でやるのではなく神の力を信じて進んで行くモーセの姿を見るのです。
黙想:もし、いつまでも躊躇するならば、一生の間、神の働きを体験しないで終わってしまうかも知れませんね。
賛美:聖歌 570 「聖霊きたり」
祈り:主よ、わたしをあなたの僕になります。導き給え。アーメン。