「わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりであった。」(ローマ人への手紙
15:1ー3)
A兄のクリスチャンの生き方についての話。 あるとき夫が囲炉裏の側に置いてあった湯飲み茶碗をけっ飛ばしてしまった。その時、夫が奥さんに、「おまえがここに置いたから悪い」と云いました。それを聞いた奥さんが、「あなたが注意しないから悪いんです。」それを聞いたおばあちゃんが、「湯飲み茶碗を片づけないから悪い、」と云ってお互いに相手を責め合ったのです。ところが隣の家庭でも同じことがありました、その時、夫は「自分が注意しないから悪かった。」そして奥さんは、「いいえ私がそこへ置いたのが悪いんです。」それを聞いていたおばちゃんが、「私が片づけなかったのが悪いんですよ、」とお互いに自分の行いを反省した、と云うのです。クリスチャンの生き方は難しいけれど相手の悪いことは自分が引き受け、良いものを分かち合うことが大切だと結びました。
教会で、役員は伝道者に、伝道者は信者に、また信者は役員や伝道者に相手が悪いと云ったら物事が解決するでしょうか。それより私も悪いがあなたも悪いと云った方が少しはましでしょう。イエスは神の子であって何一つ罪がなかったのに、罪人を救うためにその罰をさえ受けてくださったのです。そればかりではなく、完全な赦しと恵みを与えてくださいました。
黙想:相手の言い分を認めてから、諌めることが効果があると思いませんか。
賛美:賛美歌 243 「ああ主のひとみ」
祈り:主よ、あなたの愛に学びたい。アーメン。