賛美のこころ 工藤篤子

 


目次

 著者
工藤篤子
  プロフィール

はじめに

 ニューヨーク。2006年5月16日。
カーネギーホール・ウェイルホール。午後7時45分。
来場者たちが、さざ波のように引きも切らず流れ込んできます。そこここで交わされる静かな会話。黙して祈っている人たち。皆これから始まる出来事への期待で、思いがひとつになって立ちのぼっていくかのようです。
午後8時3分前。開演を知らせる2度目のチャイムが鳴りました。会場は水を打ったように静まりかえっています。伴奏者の野田常喜さんと共に控え室からステージに向かおうとする私に、スタッフのHさんはそっと声をかけてくださいました。「祈ってますからね。何も心配ありませんよ」
プログラムの最初は野田常喜さんのピアノ・ソロ「血潮したたる」です。これは私自身の信仰告白そのものでもありますから、どうしても初めに入れたかったのです。続けて次々と歌っている間も、神様の導きに包まれているのを感じ、あたかもホール全体が礼拝堂になったかのような気がしました。野田さんも、歌と一体になった素晴らしい伴奏を続けてくださいました。
最後に「主の祈り」と「平和の祈り」の賛美を捧げました。その時には神様の栄光だけが見えるようで、自分が歌っているのか祈っているのかわからなくなるほどでした。

 実はこの公演が決まった時から、私の心身は大きな闘いを余儀なくされました。2月初め、風邪をこじらせて気管支を痛め、次第に声が出なくなっていったのです。それが、5月上旬にニューヨークに到着するわずか10日前まで続きました。こんなことは初めてです。
(神様は、私に歌をやめなさいとおっしゃっているのだろうか。この公演は、キャンセルしなければならないのだろうか・・・)
追い詰められた私は、みこころを求めて祈り始めました。神様に委ねる以外、もう何一つなすすべがなかったのです。そのようにして自我が砕かれ、ほめたたえられるべきお方はただ神様だけなのだということを、今回ほど思い知らされたことはありませんでした。
つまり神様は、私を、ご自身にとって一番用いやすい状態にしてくださったのです。そうなって初めて、神様は大きく働いてくださいました。このことを通して、もう一段神様に清めていただき、みこころと一体にさせていただけた気がしました。
それだけではありません。今回私がこのようにして神様の前に出させていただけたのは、素晴らしいスタッフとたくさんの協力者に恵まれたからに他なりません。関係者一同が「ただ神の栄光が表わされますように」との一致した願いと祈りとをもって、公演の準備を重ねてきたのでした。本来、賛美とはそのようにして捧げられるものなのでしょう。
私はこのような賛美の本質を、初めからわかっていたわけではありません。
そもそも私が歌い続けることができたのは、生来声がよかったからではありません。それどころか、寒々とした傷だらけの心を抱えながら青春時代を過ごしてきたのでした。そんな中でも神様は、私の人生に備えてくださったさまざまな出会いを通して、声楽の道へと導き続けてくださったのです。
皆様の祈りとご支援に支えられながら「工藤篤子音楽ミニストリーズ」の働きが7年目を迎えようとしている今、私の半生に働いてこられた神様のみわざを、感謝を込めて振り返る時がきたのかもしれません。

top

Copyright (C) 2004 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.