第1章 私の体験的賛美試論
『神の民を慰めるために』
これまで、たくさんのホロコースト映画を見たり本を読んだりしてきましたが、2003年9月、ホロコースト生存者の集いで、一度に一二名ものホロコースト生存者にお会いして初めて体験談を伺いました。皆さんの苦しみは、限られた時間ではとうてい言い尽くせるものではありません。けれども、語る皆さんの背後から、神の民全体のうめき声が聞こえてくるようで、私は聞きながら深い慟哭を覚えました。
その時、司会者から「アツコ、あなたに今日来てくださった皆さんへの祝福の歌を一曲歌ってほしいのです」と言われたのです。それも、シャバット(安息日)でよく歌われる歌「シャローム・アレヘム」(あなたがたの上に平安がありますように)を。
歌いながら、私たちクリスチャンが、キリストの御名によって神の民を長い間迫害してきた罪を思うと、一人ひとりに「ごめんなさい」という謝罪の思いでいっぱいになり、賛美というよりは祈りになりました。歌い終わると「ありがとう!」とユダヤ人の女性が私を抱きしめました。思いが伝わった、と思いました。同時にこの瞬間、福音歌手としての私の使命の一つは、神の民を慰めることにあると思わされたのです。
「『慰めよ。慰めよ。わたしの民を。』とあなたがたの神は仰せられる。」(イザヤ四〇・一)
ヘンデルの「メサイア」はこのみことばによって始まります。ヘンデルは、台本作家のジュネンスから聖書のみことばをもとに編纂された「メサイア」の二六五ページもの台本を渡されて、作曲に着手すべきかどうか悩んでいました。思い切って最初のページを開いた時、目に飛び込んできたこの聖句に心動かされて作曲を始めたと言われています。彼もまた、神の選びの民への思いを抱いていたのでしょうか。
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