シュヴァイツァーに学ぶ >>シュヴァイツァーの生涯(PDFファイル)
6「完全に個人的に独立した活動」が出来る職業
かつて行われたアンケート調査で、日本の教会成長を妨害しているのは牧師だとする意見が6割程度もあった。教会は、やはり信徒が築き上げる者であり、牧師は信徒を訓練するものである。教会成長を牧師だけに期待してはいけない。
現在、協力牧師として私は、月三回は、町田市、我孫子市、前橋市の教会の礼拝説教を担当している。前者二教会は無牧である。かつて牧師がいたが問題が生じて信徒だけになったのだ。そのために、信徒の指導者が信徒の面倒をみて、説教者が与えられない時には奨励もしている。学生を通して知ったプリマスブラザレンの流れである「キリストの集会」は、日本の各地において積極的に宣教活動をしており、その指導者も牧師ではなくて信徒である。いずれの場合も、信徒指導者の多くは、学校の教師である。
月一回、無教会の研修所で講義を担当している。聴講者の話によると、無教会の指導者の多くも、教員か大学教授であり、医者もいる。
教員、大学教授、医者。これらは、完全ではないが他と比較して、「個人的に独立した活動」がより自由に出来る職業である。会社員でも、大きな組織の一員ではなく、小規模でも独立した会社の経営者なら、「個人的に独立した活動」ができる。
西洋キリスト教史を振り返っても、大きな教団から分離した者、世界的名規模の宣教師団体から離脱した者が、「個人的に独立した活動」を自由におこない、神のために大きな働きをしたことがわかる。
シュヴァイツァーは、牧師として、医者として、大学教授として、パイプオルガニストとして生きた。どれも個人的に独立した活動が出来る職業である。そのために自由に自らのライフワークを実現できる境遇にあった。
私は月1回、大学でゼミの一環として聖書講座を開いて、学生や教員相手にマタイ福音書を1章ずつ学問的に講義している。講義の後はピザを食べながらの歓談。平均10数名で、最高50人集まったこともある。聖書講座は楽しくて私の生き甲斐である。土曜日は説教の準備をして、日曜日に説教することもまた、喜びである。
1899年、24才の時に、哲学の大学講師になることを依頼されるが断り、シュトラスブルクの聖ニコライ教会の牧師として説教することにしたシュヴァイツァーは、以下のように記した。
「説教はわたしの内的要求であった。日曜日ごとに、集まった人びとにむかって、人生の窮極の問題について語れるということは、わたしにとって、この上ない魅力だった」
「午後の礼拝、毎日曜日の児童の礼拝、および、聖典講義することが、わたしのおもな勤めであった。与えられた仕事は、たえまない喜びの泉であった」
「わたしの地位の大きな利点は、学問上の仕事と芸術とにいそしむための余暇が十分あったことである」(『シュヴァイツァー選集2』白水社、1966年、32−33頁)
ほぼ同じ境遇にあって、シュヴァイツァーの喜びが理解できる。
生き甲斐をもつことができる職業に従事することは、生涯の喜びとなる。
信仰者は慎重に職業を選んでほしい。
(シュヴァイツァー)
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