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著者プロフィール


カルヴァンの生涯R


黒川知文

 

ボルセック

次にカルヴァンと争ったのは、ボルセックであった。ジェローム・エルメ・ボルセック(?〜1584年)の生年月日や場所は不明である。パリにいた時にカルメル会の修道士になった。カルメル会は1154年にパレスチナにおいて創設された修道会であり、エリヤと「預言者のともがら(第二列王記二章)」の直接の子孫だと主張する。当初は極めて禁欲的であり、絶対的貧困、肉欲の完全な制御、孤独とを求める会であった。十字軍運動の失敗の後、会の多くの者はヨーロッパに移り、1452年にふたたび組織され、フランス、スペイン、イタリアに急速にひろがった。16世紀には、会は次第に穏健なものとなっていた。会の主要な目標は、瞑想を宣教活動と神学研究であり、特に修道尼は、祈りと悔い改めにもみずからを捧げた。  
ボルセックは宗教改革思想にもとづく福音的信仰を持つようになり、会を脱会してイタリアに亡命した。そこで、プロテスタントの庇護者であるレナータの保護を受け、医者になっていた。レナータは、すでに述べたように、かつて逃亡中のカルヴァンを助けた人でもある。ボルセックは後にジュネーブに住むが、その頃、カルヴァンを知るようになった。


論争

1550年、ボルセックはジュネーブ市に開業医として移り住んだ。  
翌年5月、ボルセックは牧師会においてカルヴァンの二重予定説に対する反論を表明した。そして、10月16日に長時間にわたる演説を行った。ジュネーブ教会の牧師会議事録には、以下の記録がある。

ギョーム・ファレル師がわが主が彼にわかち与えた給うたものについて説明を付け加えた後、先にふれたジェローム・ボルセックしが選びと滅びについての彼の誤った意見を論題にしようと蒸し返しだした。そして選びや滅びは永遠の昔から定められているということを否定し、激しく抗議し気合をこめながら次のように言った。信じるか信じないかということ以外の選びも滅びも真理とは見做しがたい、ある者を生命に、ある者を死へ、と定めたような永遠の意志を、神に置く者は、神を一個の専制君主とするものであり、まさしく異教徒がジュピターについてやったように、一個の偶像を作りだすものである、すなわち、「理性に意志がとって代わることを予は欲し、かつ命じる」というようなものである。これは異端の説であり、かかる教議は大きな躓きをはらんでいる。なぜなら、聖アウグスティヌスもこの意見であったと信じさせようとしているからである。しかしそれが誤っていることは自分が証明するところである、などといった。  

この記述からボルセックは、カルヴァンの予定論を認めていなかったことがわかる。記述は続く。  

これ以外にも多くの中傷冒涜的言辞を付加したが、これによって彼は、すでに私的には多くの場所でやってきたごとく、公然と吐き散らす好機を覗って、心の中に毒を隠していたことが明らかになったのである。  

以上は1551年10月16日の牧師会議事録であるが、議事録にしては極めて感情的な表現が受けられる。  

12月18日に再び牧師会が開かれ、予定説についての討議が行われた。カルヴァンはボルセックの態度に怒り、各都市にも働きかける。しかし、それらの市会の意見は、信仰の特殊な教義については強制するべきではない、とする信仰の寛容をうながす内容であった。  
それにもかかわらず、カルヴァンはボルセックを糾弾し、市議会の法廷において以下の判決がくだされるにいたった。  

汝ジェローム・ボルセックがわが教職者の聖書研究会であまりにも図々しい軽蔑的態度をとり、聖書や純粋な福音的教義に反する謬説を提案したことが明らかになった。そして汝が自己の意志によって服従していた聖書や教会の教義を通じて、汝の意見が誤っている、しばしば訓戒され、聖書によって反駁されたにもかかわらず、汝は自分の誤りを認めず、頑固に固執していた。これは重大な体罰に値する。とはいえわれわれは汝に対して厳しく罰するよりは寛大に取扱いたいと思うので、…眼前に聖書を置き神の御名をとなえつつ、以下のごとく決定した。父と子と聖霊の御名により、アーメン、文書にて記したるわれらが最終的判決により、汝ジェローム・ボルセックを永久追放に処し、われらが市と領地から汝を追放する。
(『原典宗教改革史』381ページ)


論争

ボルセック事件をとしてわかることは、体面がけがされたことへのカルヴァンの怒りである。予定説を否定したという純粋に神学的な問題よりもカルヴァンにとっては、牧師会においてボルセックによりみずからの体面がつぶされたことへの個人的憤怒が最終的にボルセックを永久追放へといたらしめたと考えられる。

みずからの地位にしがみつく者は、体面を何よりも重んじる。中身よりも目に見える外見、内容よりも形式を重んじる。そして形式さえ立派にしておけば人々の尊敬をかちうると考える。  
聖書は明らかに中身を重んじる。外見を重んじるのは偽善者であり、イエスはパリサイ人を以下のように非難された。

「あなた方は白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。」(マタイ23章27、28節)  

外見を重んじる者は権威をことさらに重んじる。自分より上の人に対してはへつらい、下の者に対してはいばる。下の者が自分に恥をかかせたら、怒り、責任を追求する。  
我々の中にそのような要素はないだろうか? いつもイエス様のように上下の区別なく愛しているだろうか? 外見ばかりを重んじて、実質的なものを軽んじてはいないだろうか?

 

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