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カルヴァンの生涯20


黒川知文

 

セルヴェトス事件の位置

カルヴァンの生涯においてもっとも深刻な問題がセルヴェトス事件であった。この事件は、それによりカルヴァンの評価が決定すると言うことのできるものであった。すなわち、この事件によりカルヴァンは宗教的不寛容の人物だと評価する者もいれば、真理を守った聖書的人物だと評価する者もいる。カルヴァンはセルヴェトスを死刑へと追いやったと論じる者もいれば、カルヴァンは最後までセルヴェトスの悔い改めを促したが本人が聞き入れなかったので死刑の責任はない、と論じる者もいる。また、この事件は、宗教寛容の意味で重要な事件であったと多くの者が論じてきた。  
このようにこの事件によってカルヴァンの評価は二分している。  
いずれにせよ、この事件以後、ジュネーブ市においてカルヴァン派は優勢になり、その意味においても我々は注意深くこの事件を検討していかなければならない。  
その際、これまですでにみたように、我々は、中世後期から近代初期にかけての時代的特殊性をぬきにして、これを評価することはできない。さらに、現代に視点をおいて、この問題を扱わなければならない。「時代の子としてカルヴァン」を前提として、以下この事件の概要をまずみていくことにする。


セルヴェトス

セルヴェトス(Michael Servetus 1511〜1553年)は、スペイン出身のフマニスト(人文主義者)であった。ビリャヌエバで生まれ、サラコサとトゥルーズで法学などの諸学問を修め、イタリヤへ移った。この頃、宗教改革思想に接して自由思想家としての傾向をとるようになっていた。聖書解釈においてもそうであった。  
1530年、バーゼルにおいて、宗教改革者であるエコランパーディウス(Johannes Oecolampadius 1482〜1531年)に対して、三位一体論批判を展開する。エコランパーディウスは、かつてカトリック教会説教者であったが、フマニストの立場からルッターの教説に賛同し、修道院にはいりそこで研究を続け、1522年からバーゼルにおいて宗教改革運動を展開していた。そして、セルヴェトスと接触する前年においては、バーゼル市民は保守的な市参事会をクーデターにより倒し、聖像とミサとを廃棄している。従って、宗教改革がほぼ完成していた同市の老齢な指導者に対して、青年セルヴェトスが三位一体という基本教理に関する批判をしたのであった。彼はストラスブールにおいても、カーピト(Fabricius Capito 1478〜1541年)やブツァーと接触している。  
1531年、セルヴェトスは、ハーゲナウにおいて『三位一体論の誤りについて』という著作を密かに刊行した。さらに翌年には『三位一体論対話篇』を発表した。これらは聖書本文に基づく三位一体教義の批判であるために、バーゼル市会により禁圧された。彼は宗教裁判所の目をかすめて、フランスに逃亡した。  
逃亡先のリヨンにおいて、彼はカトリック信者として生活し、パリに留学して地理学、医学の研究に従事した。そして、プトレマイオスの『地理学』の刊行に協力し、医学を修めた後には、解剖所見からの肺の小循環を発見し、ヴィエンヌにおいて医者を開業した。1541年には大司教の侍医となっている。  
表面的には医者であり科学者であったが、セルヴェトスは、リヨンにおいて1553年に『キリスト教復元論』を秘密出版した。これは三位一体を大胆に否定する内容であった。この本によりセルヴェトスは、カトリック教会だけではなくプロテスタント教会からも異端とされるのである。なぜならば、三位一体の教理は、両者にとって基本的な教えだからである。


解剖学と神学

カルヴァンとの関係を述べる前に、セルヴェトスの思想についてまとめることにする。  
彼はフマニストであり、自然科学の研究者であった。事物を科学的合理性によって把握する傾向にあった。そのことは、例えば、彼の血液肺循環説にもみることができる。この説において、セルヴェトスは解剖学と神学との融合した説を表明している。
(『原典宗教改革史』300〜304ページ)  
彼は創世記などの人の創造に関する記述を引用して、神の息吹きは主の霊(トビリトウス)で満たされている空気(アニマ)の中にあると論じ、霊には三重の霊があると考えた。それは、自然の霊、生命の霊、活力の霊である。これらの霊の所在は以下の場となる。
@自然の霊…肝臓と体中の静脈の中
A生命の霊…心臓と体中の動脈の中
B活力の霊…脳と体中の神経の中  

人の自然の霊は、生命の霊が心臓から肝臓へと伝えられたことである。アダムの霊(アニマ)は、神によって吹き込まれたが、それは肝臓より先に、心臓に吹き込まれ、そこから肝臓に伝えられた。心臓は最初の生けるものであり、体中の熱源である。それは肝臓から生命の液を摂取し、逆に肝臓に生命を与える。  
霊の材料は肝臓の血からとられる。創世記9章、レビ記7章、申命記12章には、このことが記されている。  
生命の霊は、心臓の左心室から体全体の動脈の中に流しこまれ、それにより霊はより高次の場を求める。それは、脳の基底にある網状叢である。そこにおいて生命の霊から活力の霊がつくられ始める。そして細かな神経の中を活力の霊が通り、光線のように放射されて感覚器官に達する。  
このようなセルヴェトスの論からいくつかの点を指摘することができる。  
第一に、聖書よりも科学的知識を重んじていることである。確かに、聖書は引用されているが、それは科学的知識を説明するための材料に過ぎない。換言すれば、聖書を利用して科学的知識(この場合は血液の循環)を説明しているのである。また、聖書の引用個所も適切なものと言うことができない。  
第二に、霊という目に見えない事柄を人間の内臓諸器官と用いて説明している。したがって、物質が霊よりも重視されていると言うことができる。  
セルヴェトスは神学者ではなく科学者であった。聖書よりも科学的知識、霊よりも物を重視するフマニストであった。したがって、彼の反三位一体論は、神学者の論ではなくて、無神論者のそれに近いものであったといえよう。  
セルヴェトスは、すでに1546年頃にカルヴァンと文通していた。しかし、同年2月13日に、ファレルにあてた手紙においてカルヴァン派、セルヴェトスの「異端思想」について以下のようにすでに理解していた。  

セルヴェトスはつい先日私に手紙を送ってきました。これには自分の気狂いじみた教義について大法螺をふいた部厚い紙束がそえてありました。やがて吃驚仰天、前代未聞のものを読むことになるでしょう。……もはや生きて再び彼がここから出ていくようにはさせません。
(『原典宗教改革史』390ページ)  

カルヴァンは早い段階においてセルヴェトスの「異端思想」を見抜いており、「生きて再び彼がここ(ジュネーブ市)から出ていくようにはさせません」と述べているように、彼は死刑に値すると考えていたと思われる。  
セルヴェトス事件がここに開始される。

 

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