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カルヴァンの生涯22


黒川知文

 

三位一体論の誤謬について

1531年、セルヴェトスが20才の時にこの書が出版された。従って彼がこの書を実際に執筆したのは、18、9才の時であったと考えられる。かなり若い時の作品である。この作品は彼の運命を決定したものであるから、その内容を詳しく見ることにする。  
同書は61の段落から成っている。1から29までがキリストについて、30から最後までは聖霊について、である。  
まず言えることは、セルヴェトスは三位一体論を否定するのではなく、古来からの神学的解釈の過ちを指摘して、聖書の記述からキリストと聖霊について論じていることである。その際、古来の解釈とは、キリスト論においては、テリトゥニアヌスの『ブラクセアヌス反論』、『マルキオン反論』ボナシウス派のキリスト養子論、「通俗的」なスコラ哲学、アリウス派であり、聖霊論においては、スコラ哲学者たち、テルトゥリアヌス、アリウス、オリゲネス、キプリアヌス、ベトルス・ロンバルドゥス、エウノミウス、アエテノウス、マクシミヌス、メタンギスモニト派、ネストリウス、エウティケス、ブラクセアヌス、ウィクトリヌス、サベリウスなどである。  
これらの伝統的見解を批判しながら、聖書の記述に従い、原語による解釈も含みながら、キリストと聖霊について捉え直そうとする試みがこの書の内容であった。  
キリスト論に関しては、以下のように要約している。

聖書全体は冒頭から結尾に至るまで、人間キリストその方について語っているとわたしは言う。……聖書全体が語っているのは、人なるキリスト御自身についてなのである。  

この個所からはキリストの神性が否定されているように思えるが、以下のように要約は続いている。

だから、あなたの思いを常にキリストに向けるがよい。神があなたに喜ばしい心を与え、これを開いて下さるように祈るがよい。わたしは一切の中傷、誹謗を抜きにして、聖書をこの上なく明快に解釈し、あなたがキリストの御顔を常に見奉るかぎりで、神御自身をあなたの目の前に示し奉るであろう。(『宗教改革著作集』10、教文館、1993年、20ページ)  

この個所からも明らかなように、セルヴェトスは、決して神としてのイエスを否定してはいない。  しかし、彼の三位一体論は、正統的な立場ではなく、様態論、すなわち、父、子、聖霊は同一の神の異なる顕現様態にすぎない、とする立場に近いものであったと解せられている。(同書304ページ)  
彼が異端とされて厳しく非難されたのは、この書の結論部分の表現にあると思える。すなわち、従来のスコラ哲学などの三位一体論を否定した後に、三位一体は後の人々が聖書にないことを付け加えたのだと断定して以下のように結んでいる。

それ故に、この発熱性の疫病は、新来の神々として、近年になってから付け加えられ、押し付けられたものであって、われわれの父祖たちはそのようなものを拝することはなかった。この哲学的疫病はギリシア人によってもたらされたのである。彼らは他の民にまさって哲学に耽溺しており、われわれは彼らの口車に乗せられて、自分自身でも哲学者になったのである。                                     
(同書34ページ)  

そして最後の段落においては、キリストの大宣教命令を引用して、セルヴェトスは、教会がキリストに逆らい、その無謬性に固執したために、三位一体という無知な誤謬を犯してしまったと断じて、教会の権威を非難している。そして、以下の文句により結ばれている。

願わくは主があなたがたに知識を与えられ、聖書の単純さに従うことができるようにして下さることを。もしも全身全霊をもってキリストを尋ね求めるならば、疑いもなく主は恵み深くあられることであろう。(同ページ)  

信仰的な言葉によって結ばれていることがわかる。  
セルヴェトスの意図は三位一体論の再考にあった。古来からの神学理論やスコラ哲学を批判して、聖書が記すキリスト像を求めることに彼の意図はあった。聖書やキリスト教を否定する意図はなく、神をあなどる表現やキリストを冒?する描写は一切見られない。彼の批判は三位一体論と教会の権威にあった。その論拠が不十分であり、その批判が感情的で行き過ぎであったことは否めない。さらに当時の状況、すなわち、カトリック教会と新興のプロテスタント教会とが対立している中にあって、両者の共通する基本教理である三位一体論や教会を批判することは、許されない行為であった。


カルヴァンとセルヴェトスの告訴

確かに宗教改革の時代においてはセルヴェトスの三位一体論批判は受け入れることのできない異端であり、今日においてもそうである。しかし、それは、20才前後の若者が、聖書にたちかえって伝統的な神学理論を再考し、それを批判したが、その論拠が不十分であり、正統的立場ではなかったということである。また、若さのあまり結論部分において教会権力を感情的に批判してしまったということである。今日の観点に立つと、決して死刑に至らない許容範囲内の論争となるであろう。しかし、当時において批判された教会権力ならびにカルヴァンは、これを許しておくことができなかった。
カルヴァンはセルヴェトスの書物を「?神的な謬説に満ちている本」「おそろしい謬説が満ち満ちている」「背神的妾言」「癒しがたき毒」と評している。
(『原典宗教改革史』400ページ)
ところで、監禁されたセルヴェトスは市参事会に二通の請願書を提出している。
1553年9月15日付けの請願書では、セルヴェトスは、カルヴァンの訴訟妨害行為を批判し、獄内生活の悲惨さを「しらみが私のこの生身の身体を喰い荒らしています」と説明した後に以下の請願を表している。
第一に、ユスティニアヌス法典に従って裁判を行なってほしいこと、第二に、代理人あるいは弁護士をつけてほしいこと、第三に、セルヴェトスのこの請願書を議会に提出してほしいこと、である。
セルヴェトスのこれらの要求は、現在からみれば当然の要求である。もし、現在において、法律に従わず、弁護士をもつけさせず、議会などに公表もせずに秘密に裁判を行ったとすれば、大問題となる。
一週間後の請願書では、セルヴェトスは、六項目にわたる事実関係を確認するために、カルヴァンを訊問することを市参事会に要求している。そのうちの一つは「犯罪の告発者となったり、裁判によって人を死刑にするよう訴追することが、福音の教役者の職務ではないことを、果たして知っているかどうか」となっている。
さらに、カルヴァンを断罪すべき以下の四つの「重大で確実な」理由を激しい口調によりあげている。
@教義の問題は犯罪告発の対象とならない。
Aカルヴァンは「嘘つきの」告発者である。
Bカルヴァンは中傷的理由によりイエス・キリストの真理を抑圧しようとしている。
Cカルヴァンの教義は魔術師シモンの教義の真似である。
@は現在からみれば正当な理由となるが、当時の状況からは支持されない理由である。また、A〜Cは、かなり感情的なものであり、立証できない理由でもある。
セルヴェトスのこの要求を市参事会はどのように受けとめたであろうか?

 

 

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