結び
これまでカルヴァンの生涯を概観して多くのことを学ばせてもらった。今ひとたび、カルヴァンの生涯を通して、学ぶべきものをまとめることにしよう。
聖書に基づく改革
カルヴァンが全生涯をとおして試みたのは、聖書にもとづく教会改革であった。カトリック教会は、聖書以外にも外典、聖人伝、教皇の教えなどの伝統にも権威を認めていた。そのために、聖書から逸脱した教えを信じていた。それに対して、カルヴァンは、聖書研究、講解説教、聖書学院設立、牧師教育、注釈書執筆などを通して、徹底的に聖書を教えた。そのことが最終的には人々を変え、新しい時代へとつながっていった。聖書は人を救いへと導くだけでなく、社会全体をも良き方向へと変えていくものであることを知ることができる。
人権の軽視
しかし一方、時代の子としてカルヴァンには、逸脱行為も見受けられる。それは、反対者への応答である。セルヴェトス、カスティリオンなど、異なる教えを掲げる者に対して、死刑、追放などの手段をもってカルヴァンがこたえたことである。これは、明らかに彼らの人権を無視した行為である。名誉毀損の罪である。今日、カルヴァンと同じような行動をとれば、有罪となることは明らかである。
人はともすれば権力を獲得する時から、権力の魔力に負けて、理性に反することを平気で行なっていく。権力は神からのものであるから、権力者に反抗する者は、神に反逆する者である、という誤った権力観によって、反対者を抹殺していく。このようなことが今日のキリスト者は行ってはいけない。権力をにぎる者は、かつてイエスが歩まれたように、謙遜にならねばならない。仕える者としての姿がなければ、正しい権力者ではない。神の名によって不正を行なう権力者は、いつかは、その虚偽が明るみに示され、彼の上に立つ権力、すなわち、国家の法律によって罰せられることになるであろう。
先日、ある学会にてカルヴァン研究者と話す機会があった。その時、カルヴァンの行った功罪として、セルヴェトス事件のことなどを話すと、彼は、そういうことよりも、カルヴァンは、傲慢な教職者(牧師など)をつくってしまったことが許せない、と言っていた。
「イエス・キリストはカルヴァン主義者であった」と言う神学者もいると言う。何たる過ちであるか。
確かにカルヴァンの神学は、歴史的な偉業である。いまだに綱要は新鮮である。しかし、神学により人は救われない。人を救いに導くのは聖書のことばである。聖書よりもカルヴァン神学を重要視するものは、誤っている。
神学は聖書の体系的な知識である。したがってこれを無視したり、軽視したりすることも誤りである。優先順位をしっかりと理解して、神学を学ぶことである。
遺言
カルヴァンの遺言を以下に引用する。
主の御名において、アーメン。ジュネーヴ教会の神の言葉の教役者たる私、ジャン・カルヴァンは、様ざまな病に圧せられ悩まされ、それゆえ主なる神が間もなくこの世から私を召し去ろうとおきめになったと信じざるをえなくなったので、遺言状を作製し、私の最後の意志を以下のごとく文書で記そうと決心した。私をつくり給いこの世におき給うた神が、私を憫んでなし給うたすべてのことに、まず感謝を捧げる。すなわち、神は私が落ちこんでいた迷信の深い闇から救い出し給い、福音の光の中に導き、値なきにもかかわらずその救済の教えにあずかるものたらしめ給うた。またさらに憫みと慈愛とをもって、拒まれ滅ぼされるに値している私の多くの誤りと罪とを寛大にも優しく忍ばれ給うた。さらにそれどころか、大きな寛容と慈悲を示されて、福音の真理の説教と宣布にあたって私の働きを用いることをよしとさえ見做し給うたのである。私は以下のごとく証言し告白する。すなわち、私はなお残る生命を福音を通じて私に伝え給うた信仰と宗教に費やす所存であり、私の救いがそこにのみ懸っているところの恩寵による選び以外に、救いのための他のいかなる助けも保護ももとうとはしないということである。私はイエス・キリストを通じて私に加えられた御憐憫に全霊をもっておすがりし、キリストの受難と死の功績によって私の罪を贖い給い、かくして私のあらゆる罪を誤りとを償い、それについての御記憶を消し去り給わんことをお祈りする。さらに私は次のように証言し告白する。すなわち、人類の罪のため流された救世主の血によって私を洗い浄められ、最後の審判のさい救世主の御許に立つことを許されるよう、哀願し奉る。また同じく次のように告白する。すなわち、神が私に対して与えられた恩寵と愛に応じて、私は説教や書物や註解で純粋清明な御言葉を宣布し、聖書を誠実に解釈するよう熱心に努めてきたということである。また私は次のように証言し告白する。すなわち、私は福音の敵との戦いや論争において、いかなる詐術も邪悪な詭弁的策略も用いたことはなく、真理を守って正々堂々と振舞ったということである。しかし悲しいかな、私の努力と熱意は、もしその名に値するとしても、はなはだ鈍く無力なものであったので、課せられた職務を幾度となくなおざりにし、神の無限のご慈悲による助けがなかったならば、私のあらゆる努力は空しく無意味なものであったであろうということを告白する。いやむしろ、神の御慈悲が私を助けなかったとするならば、主が私に贈り給うた霊的賜物は、最後の審判のさい、いっそう私を罪深い怠慢な被告とするであろうことを認めなければならない。それゆえ私は以下のごとく証言し告白する。すなわち私の救いにとって次の一事以外にいかなる助けをも希望しないということである。それは、神は隣憫の父で在す故に、自分が憐れむべき罪人であることを認めている私に、父として御自身を示し給うということである。他のことについては次のように希望する。この生命を終えた後には、喜ばしき復活の日が到来するまで、この教会と市の慣例に従って遺体を埋葬されることである。
(『原典宗教改革史』385ページ)
カルヴァンの墓は遺言にもとづいて、市営墓地の一画に建てられた。
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