Back No <1> <2> <3> <4> <5> <6> <7> <8> <9> <10> <11> <12> <13> <14> <15> <16> <17> <18> <19> <20>
<21> <22> <23> <24> <25>

マルセまゆみ

 

 

 

 

 

 

マルセまゆみ
プロフィール


祈り、人を励まし支える手

 ここ数日、携帯電話に迷惑メールが立て続けに入ってくる。発信元のアドレスは全て異なるが、ほぼ2時間ごとに規則正しく送信されているところからみて、おそらく同一の発信者であろう。その内容は、「美奈(発情中)30才。メールくれればTel番号教えまーす?」(って、本当は美奈男(55才)が書いてんじゃないのか?!)「貴方は女性とどのような事をしたいですか?言えないような恥ずかしい事でも何でも言ってみてください。」(はい。では、ちょっと恥ずかしいんですが、一緒に「主よ〜〜!」と3回叫んでから、お祈りしてくれませんか?・・・って言えるかっ!!)「・・・など、さまざまな点から目的に合う女性をご紹介いたします。」・・・etc, 要は全部男あてなのだ!!私のアドレスには、はっきりmayumiを使っているというのに!・・・どうせ、あたしゃオジサンだよっ(怒)!!たまには、嘘でも「イ・ビョンホン似の素敵な男性に出会うチャンス!」とかいうのを送ってこいっつうの!一個もにゃ〜だよっ。(TV「細腕繁盛記」の富士真奈美風に・・・って、ふっ、ふるい!)
  さてさて話はガラッと変わって・・・映画「めぐみ―引き裂かれた家族の30年」を見た。TV報道などで、何となくわかっているようなつもりになっていたが、映画を通して改めて、横田さんご夫妻の深い悲しみに触れ、果てしない闘いを知ることができた。
  以前より、早紀江さんの、拉致被害者家族の中にあって、ひときわ目立つ“りん凛とした態度”に、「何故この人は、こんなに強くいられるのだろう。私だったら、きっともうメチャクチャな状態であろうに。」と不思議さを覚えていたが、後になって、早紀江さんがクリスチャンであることを知り、「ああ、だからかー。」と納得したものである。“主と共に乗り越えてきたもの”があるのだろう。
  映画の中に、横田滋さんが、赤ちゃんのめぐみさんを抱っこしている写真がでてくる。どれほど嬉しかったか、誇らしかったか、幸福であったか・・・。しかし、私たちは、その13年後の事件を知っている。だから余計に、その写真の中の滋さんが切なく、胸がしめつけられる。
  「アメリカだったら、1人の人を奪還するのに戦争まで仕掛けるのに・・・(日本は・・・)」とつぶやくシーンがあったが、確かに日本の政府は一体何をしているのだ!と思うことも多多ある。この映画自体、カナダ人夫妻によって作られ、アメリカの映画祭などで賞を得てからの逆輸入である。所謂“いつものパターン”だ。
  また、ヨブ記を引用して信仰を語る早紀江さんに対して、滋さんが、「神様がいるなら・・・(この状況は)・・・めぐみはいらないってことになる。」と反論するシーンが出てくる。でも、私は信じている。「めぐみさんは生きている」と。神様がめぐみさんをいらない訳がない。逆である。絶対に必要なのだ。
  めぐみさんの家族のことを思う時、私にはいつも、ヨセフの物語が浮かんでくる。元北朝鮮工作員の安氏の証言にもあったが、めぐみさんは確かに権力の中枢で働いているのではないだろうか?北朝鮮の何か異様なまでのめぐみさんへのこだわり(?)が、それを示唆しているようだ。神様は、北朝鮮を引っくり返す為に、今そこに、めぐみさんをおいているのではないか?神の大いなる計画があるのではないだろうか?最後の最後に、ヤコブ(御両親)とヨセフ(めぐみさん)の対面が再現されるのではないだろうか?そして、そこに神の栄光があらわされるのではないだろうか?・・・そんな気がするのだ。
  実は100年前に平壌で大リバイバルがあったということを最近知った。金賢姫が大韓航空機事件の際に毒を飲んでも死ななかったのは、彼女のお母さんがクリスチャンで、祈りがあったからだ、とも聞いた。種は確実に蒔かれているのだ。そして、いつでも勝利するのは神の陣営である。
  迷惑メールを発信する手も、人を拉致する手も、核ミサイルを作る手も、すべて人間の手である。(「猫の手も借りたい」とは言うが、犬や猫の手はそんな事をしない。)しかし、その手を用いるのは、背後にいるサタンである。私たちは戦う相手を間違えてはならない。
  『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』(エペソ書6:12)
  映画「めぐみ」のテーマは、「親の愛は世界を動かす。」であった。「私たちの父=神」の愛は、間違いなく、横田さん御一家、拉致被害者とその家族の皆さんの上にふりそそがれている。神様にできないことは何一つない。
  私たちは、全ての問題の解決の為に、この手を“祈る手”“人を励まし支える手”として、神様に用いていただかねばならない。
  『――万軍の主の御告げ。――わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。』(ゼカリヤ書3:9)

 top

Copyright (C) 2004 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.