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マルセまゆみ

 

 

 

 

 

 

マルセまゆみ
プロフィール


闇は、光に勝てない

 「あーあ、言っちゃった〜。」“女性は子供を生む機械”発言で、柳沢厚生労働大臣は一躍“時の人”?となった。人間、「つい、口がすべった。」ではすまされない事がある。ああ、清原清原?蛯原蛯原?・・・桑原桑原(くわばらくわばら)。
  でも、そんな“失言”しやすい政治家に朗報がある。「腹話術」だ。以前、田中真紀子氏が安倍さんの事を、「小泉首相の腹話術人形」と揶揄していたことがあったが、私の奨めるのはそういうものではない。本物の腹話術人形である。いつも、どこへ行くにも、腹話術人形を、相方として持参していくのだ。そして、本音と建前を役割分担するのだ。
  例えば、赤ちゃんを見た時、正直、可愛くないな、と思う。そんな時、本人は無理をしてでも「可愛いねえ。」と言う。そして、間髪入れず、人形に「猿かよ!」と言わせる。(その際、声を変えることを忘れずに。)母親が、「何てこと言うの!」と怒ったら、「そうだぞ!お前は、何て事言うんだ!!コラッ!!」と人形を叱る。これで、お母さんも納得だ。(・・・な訳ないだろっ!)ストレスもたまらない。(本当にやらないでね、杉村太蔵先生!・・・って、名指しかよ。)
  ところで、今、話題の人形といえば、「ペコちゃん」である。あの、お目々パッチリの“首ふり人形”、幼い頃の私にとっては「デン助人形」(当時、浅草の喜劇人、大宮敏充演じる“デン助”はTV放送もされ、子供たちに大人気であった・・・って、古っ!!)と並ぶ“憧れの2大首振り人形”であった。
  ちなみに、うちの夫は、“ポコちゃん”と“大宮デン助”を、足して2で割った様な顔をしている。つまり、ようやく大人になって、欲しかった人形を、まとめてゲットした訳だ。(首を長くして待ったかいがあった??)
  そのペコちゃんは、「首ふり」から一転して「首が回らない」状態になってしまったが、山崎製パン(社長はクリスチャン)の救いの手により、かろうじて「首が繋がった」ようである。
  今回の事件で、消費期限切れの牛乳より、もっとびっくりしたのは、チョコレートの中の蛾の幼虫だった。何年か前に、家で鍋パーティーをしたことがあった。海老や蟹を入れ、豪勢にやっていたが、少しずつ煮え始めると、ちょこちょこ茶色いものが浮いてきた。椎茸のかけらだろう、と思っていたが、グツグツ沸湯しだすと同時に、それがドンドン増えて数えきれない程になってきた。「困ったな。」と思い、よく見ると、な、なんと!それは全て1cm位の幼虫の死骸であった。ギョエ〜〜!!絶対に101匹はいた。(ワンちゃんかっ!)
  犯人は、3週間位前に、おみやげでもらった乾燥キノコであった。ダシをとるために入れたのであるが、そこに付いていた卵が、いつの間にか孵化していたのだ。年に一度の贅沢な食卓が、「虫鍋地獄絵図」と化したのである。これが本当の「闇なべ」であった。それから暫くの間、私達は、「なべ」と聞いただけで吐きそうになった。
  さて、不二家と同様、「あーあ、バレちゃった〜。」のが、「発掘!あるある大事典」だ。「納豆でダイエット」「みそ汁でやせる」はいいとして、「レタスで快眠」は端からあり得ないと思う。それよりも、「聖書で快眠」だ。夫は、聖書を開いた途端に眠くなるのだ。ねつ造ではない。
  という訳で、最近はニュースから目が離せない。次々と事件が起きてくる。シドニィ・シェルダン(『ゲームの達人』etc。皆、一度は、はまったと思う。先日、89才で亡くなった。)以上の、ジェットコースター的展開である。なんだか、姉歯問題(耐震偽装事件)以来、日本に於いて、隠されていた事が、どんどん明るみに出ていっているような気がする。
  また、社会の中だけではなく、私達自身の中にある闇、自分でも気付かなかった闇も、暴かれていっている感じがする。まさに、『隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。』(ルカ8:17)だ。
  しかし、恐れる必要はない。それだけ、光が強くなっている、ということだ。私達はまず、その闇が何であるかを知ることだ。そして、悔い改め、聖化の途をたどればよいのだ。神が助けて下さる。
  一度悔い改めたことを、必要以上に責めたててくる、自己嫌悪におちいらせる、としたら、それはサタンの仕業である。私達の神は執拗に責めたりはしない。「赦す神」である。『あなたの罪は赦されています。』と、おっしゃって下さる神なのだ。大丈夫である。
  そして、神と自分との間にある障害物(罪)がなくなれば、祝福は、自ずとドンドン流れてくる。悔い改めは、パイプのつまりを取る「パイプマン」みたいなものだ。
  余談であるが、20年程前、「パイプマン」のCMに出演した。パイプの中を、鞍馬天狗(パイプマンを象徴)のあとに続き、白装束の旅人、およそ200名(水を象徴)のエキストラが、いっせいに、ワァ〜ッと走って行く、というものであった。その前から8列目の右から2番目が私だ・・・って、わかる訳ないだろっ!
  さて、「産む機械」発言であるが、確かに私達は「機械」ではない。「石の心」ではなく、「肉の心」を持つものだ。しかし、共通点が一つある。それは、どちらも「燃料=油」が必要だ、ということである。「油」を切らさなかった賢い娘たち(マタイの福音書25:4)のように、私たちも、いつも神から、聖なる油を注いでいただこう!
  『もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』(ヨハネの手紙T 1:9) 

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