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著者プロフィール


クリスチャンと人生


中島 總一郎

1、キリスト者のあり方

1-5 真の自由とは

 放縦と自由とは異なる。自分の思いのままに無統制にしたいことをする放縦と、自由とは異なる。放縦を自由と間違えて行動している者がいないではない。

  それでは真の自由とは何か。自由には二つの側面がある。解放の自由と前進の自由である。行おうとすることを制約されない自由と、自分が進んでいきたいと希望する目標に向かって制限されることなく、行動できる自由である。人はこの二つの自由を同時に得たときに真の自由を自分のものとしたと実感する。

  解放の自由にも二面ある。外部からの自由と内部からの自由である。外部からの圧力によって言論や、思想や信教が「統制」の名の下に制約され、束縛されることがある。これらからの解放が外部からの自由である。
歴史的に見るならば、外部からの解放の自由には、人種差別、貧困、偏見、社会的不正、暴力などからの解放があった。
内部からの自由は、自己の内側にある罪責感、追い立てられる義務感、死の不安などからの解放である。虚栄心、高慢心、名誉欲、貪欲などからの解放も、自己の内部からの自由である。

  内部からの自由において最大の問題であり、最大の解放ともなる自由は、原罪からの解放である。人々が持って生まれた肉の汚れである原罪からの解放である。原罪から出てくる利己心からの解放も、自由にとっての大きな課題である。
次に、前進の自由はどのように得られるであろうか。前進の自由は目標到達の自由であるが、前進の自由が保証されるためには、「目標」の設定に自由がなければならないし、「到達」の方法も自由でなければならない。

  生涯にわたって前進の自由を満喫するためには、社会的にも個人的にも高く大きい目標が必要であるし、そこへ到達するための方法として、自己鍛錬や節制も必要である。

  人として真の自由を得る方法は、キリストの僕となることである。このことは社会にあって四十年以上にわたってキリスト者として体験してきたことから証詞できる。

  聖書は言う、「イエスは自分を信じた・・・人たちに言われた、『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、・・・真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』」(ヨハネ八31,32)と。

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