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著者プロフィール


クリスチャンと人生 その2


中島 總一郎


1、人生の意味の発見


1−2 人生に期待される生き方

 「自分は人生から何を期待できるか」という生き方は、自己中心的生き方であり、人生に甘えた受動的生き方である。すなわち、現在の自分を中心において、周りに人生をかしずかせ、その人生から何かを受けることを期待している生き方である。
  だが、「自分は人生から何を期待されているか」という生き方は、人生を主人公におき、自分をその周囲において、人生に対して自分は何かできないかと仕える態度を取る能動的な生き方である。
  人生に期待する生き方をしていたのでは、いつまでたっても人生に意味を見出すことはできない。なぜなら、外界は自分に仕えるためにあるのではないからである。また死であれ、病であれ、迫害であれ、外界からどんなことも期待できない状態に置かれた場合、そこに残るのは絶望しかないからである。
  自分は人生から何を期待されているかと問う生き方は、外界に絶望しかない状況にあっても、人生に意味を見出すことができる。外界に何も期待せずに、外界に働きかけるという方法がある。あるいは、自分の内面にあって、「自分は生きるのだ。生き続けるのだ」という決意をもって生きる方法がある。
  キリスト者の場合は、外界に対しては絶望しかない状態においても、内面において神と交わり、神に希望を見出し、神に尋ねることができる。
  人生に期待する生き方をしてはならない。人生から何を期待されているかを問う生き方をしたい。

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