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著者プロフィール


クリスチャンと人生 その2


中島 總一郎


7、救いの成長


7−1 神を信じない愚勇
  神を信じない人々や無神論者の生き方は、勇ましく見える。また彼らも、自分は自由を謳歌し、より「人間らしく」生きていると自負している。だが彼らが受ける報酬は、すべてのことを自分の力でしなければならないことである。あるいは、不安を抱きつつ人間に頼らねばならないことである。
  ところが、自分の力も他人も本当に苦しい窮地に立ったときには役立たないというのが実態である。なぜなら、信じている自分の力は弱く、正しい方向に導かない本性を持っているからである。また、信頼している他人の力は、順調に行っているときは周囲に集ってきて協力してくれるが、苦境に陥ったときには、去って行くというのが大方だからである。
  自分の力も他人の力も極めてみすぼらしい生活までにしか達せさせないが、神の力は、本来人として到達できる地点にまで導いて下さる。なぜなら、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである」(Tコリント一25)。そして、「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたち(キリスト者)には、神の力」(Tコリント一18)だからである。
  神を信じないで自分の力で生きていたときのことを思い出し、そのときはどんな生活だったか省みなさいと、パウロは次のように諭している、「その時、あなたがたは、(生活で)どんな実を結んだのか。その実は、今(振り返ってみれば)恥とするようなものであった。それらのものが(たどり着く)終極は、死である」(ローマ六21)と。
  終極がこれ以上みじめなものはない恥じ入る死へ導くところの、神なしの生活にとどまっていてはならない。愚かに見えるが人の本来あるべき姿へと導く神を信じる生活へ、自分を一日も早く置きたいものである。

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