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クリスチャンと人生 その2


中島 總一郎


9、御言葉の重視

9−3 御言葉への加減厳禁

 人が罪を犯すのは、主の御言葉に加減するか、異議を称えて反対のことを言うからである。
  主の言葉に付け加えて罪を犯した場合と減らして罪を犯した例が、へびの誘惑に対してエバが答えた中にある。異議を称えて神の言われることと反対のことを言って罪を犯させた例が、へびの言葉の中にある。
  神は「善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創世記二17)と言われただけなのに、エバはこれに触れてもならないと言われた、神は専横的で厳しい方だと付け加えてへびに答えている、「ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」(創世記三3)と。エバの答えには、神に対する人間の個人的感情や間違った判断・評価が入っている。
  御言葉から減らしたために罪に陥ったエバの答えは、次のようである。神は心広く豊かに「園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい」(創世記二16)と言われたのに、エバは「わたしたちは園の木の実を食べることは許されているが」(創世記三2)と答え、「どの木からでも」と「心のままに」を減らして、神の心優しい配慮を省いており、神の寛大さを受け入れていない。これは神の御心の真意を理解できない人間の心の狭さを示している。
  異議を称えて罪へ陥落させるへびの誘いは、次のとおりである。神は「それを取って食べると、きっと死ぬ」(創世記二17)と言われたのに、へびはこれに反対を称えて、そんなことはありはしないと、エバに「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう」(創世記三4)とだまし、エバに木の実を食べさせた。「きっと死ぬ」を「決して死なない」の正反対に変えて異議を称えた。
  私たちが罪に陥るのは、御言葉を御言葉どおりに受け取らないからである。罪を犯さないようにするには、神の御心をよく知って、御言葉に付け加えたり、減らしたりしないことである。神は深い配慮と意味をもってその御言葉を私たちに語っておられるからである。また神は人間にできることだけを命じておられる。人間に不可能なことは言われない。それほどに神は心優しい方であって、厳しい方ではない。
  御言葉へ加減したり、異議を称えて人が罪に陥ることがないように、神は次のように戒められている。「わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである」(申命記四2)。

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