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クリスチャンと人生 その2


中島 總一郎

瞑想録 死と神の国


死と神の国
人生の最終到達目標
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クリスチャン人生
瞑想録
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14、高みを目指す生活

14−4 神を求める大いなる祝福
  一般に、求めて与えられないのは、求め方が悪いのだと考える。だが、求める対象が違っているのだとは思わない。求めて得られないのは、求める方法が不適切なためであるとは考えても、求めているものが違っているのだとは気が付かない。
  人は神に求めることはするが、神を求めることをしない。「に」と「を」の一字違いであるが、これは大いに異なる。神に求める者は求めたものに近いものが、神のあわれみによって与えられることがある。しかし、その与えられたものは、神を求めて与えられるもの以上のものではない。
  十人の重い皮膚病の者が、イエスに「わたしたちをあわれんで下さい」と願ったので、「祭司のところへ行って見せなさい」と約束された。彼ら十人は途中で治ってきよめられたが、イエスの所へ帰ってきて伏して感謝したのは一人だけであった。あとの九人は治ったのでそのまま喜んで帰って行ってしまった(ルカ十七12〜18)参照)。 
  この九人は神に求めたのであり、イエスのもとに戻ってきた一人は神を求めたのである。この一人は「神をほめたたえるために帰ってきた」(ルカ十七18)のである。目的を達成したので行ってしまった九人が得たものは、その場限りの求めたものだけであった。しかし、戻ってきた一人は、さらに永遠の幸いに入れてもらえたことであろう。なぜなら、彼の信仰が彼を救ったからである(ルカ十七19参照)。
  神は、神に求める者には、お赦しになる場合はあわれみの範囲で求めるものを与えて下さる。しかし、神を求める者には求める以上の極上のものを与えられる。それは、神は次のようなお方だからである。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちに与えられたからには、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」(ローマ八32参照)。神は御子を求める者には、御子のみならず万物をも賜わるのである。だから、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて(求めたことに)添えて与えられる」(マタイ六33)と言われる。「あなたがたは、(神を)求めないから得られないのだ。求めて与えられないのは、・・・・・・悪い求め方をするからだ」(ヤコブ四2、3)。
  神に求めるのではなく、神を求めて、求める以上のものを与えられる信仰者になりたい。

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