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クリスチャンと人生 その2


中島 總一郎

瞑想録 死と神の国


死と神の国
人生の最終到達目標
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クリスチャン人生
瞑想録
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14、高みを目指す生活

14−6 人生の真価を決める啓示の量

 一日は24時間、寿命は80〜90年、それをどのように2倍、3倍にして生きよと言うのかと人は問う。一時間は一時間、50年は50年でしかないではないか。それをどのようにしようとも、長くも短くもできない。
  しかし、人生の時間というものは、秒の積み重ねの長さで計るべきものではない。質と充実度で計るべきものである。一日を72時間にも寿命を300年にもすることはできる。
  自分の人生を振り返るとき、忘れることのできない一瞬というものが、誰にも一度や二度はあったはずだ。愛する人と出会った時とか、問題解決のアイデアをひらめいた時とか、新生をするときに神の御声を聞いた時などである。
  そのようなひらめきの時というものは、論理や思考の積み重ねで獲得したものではなく、一瞬のインスピレーションが働いた時である。
  パウロを大伝道者にするために、彼の人生を決定づけたものは、彼がキリスト者を捕らまえて牢にぶち込み処刑するために、ダマスコへ向かっている荒野の馬上で、突然、強烈な光を天から受け、大地に突き落とされ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(使徒二二7)との声を主イエスからかけられたときのことであった。
  人生の質を高めるのは理性ではない。ハートである。いや、それ以上に外部からの閃光のような光であり、心の耳に語りかける細き声である。すなわち、天地宇宙の支配者からの啓示である。この啓示を受ける回数が一生の間にどれ位多いかによって、その人の人生の大きさは決まる。その人の人生の生きた価値の大きさが決まる。人生の大きさはその長さによらない。啓示を受けた回数によって決まる。神の示しを多く受ける人は、密度の濃い、他の人の何倍もの人生を生きることになる。
  その人に与えられた時間の真の価値は、それが含んでいる、魂が体験する啓示の量によって計ることができる。

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