問題を解決する法     

Don’t Worry ささきみつお

>> BackNo

書画コーナー
みつおの書画コーナー
どんなことにもくよくよするな!
どんなことにもくよくよするな!

--問題解決への22突破口合言葉はDon’t Worry--

●弁護士 ササキ・アイザック・ミツオ 著
サイズ・B6判 P130 ¥880

詳しくは>>

佐々木みつお
著者プロフィール


「ドングリをどう見るか?」

 

1. ドングリの背比べ

あなたは一個のドングリを見て何を思いますか?「ドングリころころ」の童謡を思い出してなつかしくなる。「ドングリの背比べ」のことわざを思い、「みんな同じでそんなに変わらないのに、お互いにおろかな競争をしている」と考える。「ドングリなんか渋くて食べられないから何の価値もない」と興味も湧かない。「いや、料理の仕方によってはドングリもおいしい食材になる。韓国料理にはよく使われている」と評価する。動物愛好家は、「ドングリはリスや野鼠の大切な食料だ」と言うでしょう。

たった一個のドングリですが、いろいろな見方がありますね。物事の見方は人によってさまざまです。一個のドングリでも肉の眼で見ているようですが、実はあなたの心の目で見ているのです。ですから、「肉眼」よりも「心眼」の方がはるかに重要です。

そうすると、あなたが今抱えている「一つの問題」についてもいろいろな見方があるわけです。「大変なことになってしまった。へたをしたら命取りになりかねない」と非常に否定的に見ることもできます。「つまらない問題だ」としてあえて無視することもできます。「すばらしいチャンスだ。この問題を通してきっといい事が起きるぞ!」と大きく前向きに考えることもできます。大切なことは、その問題をどのように見るかは、あなた次第であるということです。

2. 松下村塾の門下生たち

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」「志を立ててもって万事の源となす」「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」(松陰語録)

「至誠」(誠意を尽くす)を生涯のモットーとして幕末の時代を生きた吉田松陰は、黒船に密航しようとして逮捕、入獄の憂き目にあいました。暗くじめじめとした牢内は暖炉ひとつなく、他の囚人たちは皆、絶望し自暴自棄になっていました。しかし、松陰だけは実兄が差し入れてくれた本を毎日2冊、合計6百冊余りを読破し、喜々としていたそうです。「入獄」という一つの状況を、「絶望」と見ることもできるし、逆に「希望」と見ることもできるのです。

学問を研鑽して獄を出た松陰は生家に幽閉されましたが、藩当局の許可を得て叔父の経営していた松下村塾を引き継ぎました。入塾希望者は誰も拒まず、商人、足軽、武士、農民の差別もせず、子どもから大人まで年齢も問いませんでした。松陰の教育方針はただ一つ。「人の長所を見抜いて、それを伸ばすこと」にありました。どんな人にも愛情と誠意をもって接しました。心から相手を信頼しきって、その人の欠点や失敗を責めずに、常にその動静に目を配ってその人の長所を見出し、それを自覚させて自信を持たせてしまう。それを実行した人が吉田松陰です。

松陰が門弟の指導にあたったのは、再び投獄され首を刎ねられるまでの、わずか2年間でした。にもかかわらず、松下村塾の門下生からは、幕末、維新で活躍した多くの志士やトップリーダーたちが輩出しています。高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、井上馨、山県有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、吉田稔麿、入江九一、前原一誠など。坂本龍馬も久坂らの影響を大きく受けて行動した一人です。長州の片田舎の小さな私塾からきわめて短期間にこれほどの逸材が輩出したことは、実に驚くべきことではないでしょうか。

長州藩とか薩摩藩という小さな枠を超えて、松陰は「欧米の列強の植民地支配から日本を守り、自主独立の国家を作らなければならない」という世界的視野に立つ大きな理想を抱いていました。名もない下級武士や商人たちの将来の可能性を見抜いた松陰は、彼らの心に自分の理想を植えつけ、愛情と誠意をもってそれを育てたのです。

2. 神の見方

私たちは知らないうちに世間の常識的見方(ほとんどが否定的な矮小化された見方)をしています。新聞やテレビで報道されることを鵜呑みにしがちです。あまりにも情報が多すぎて自分で考える余裕がありません。自分で考えても、堂々巡りでなかなかしっかりした理想を持つことがでないことが多いのではないでしょうか。

神を信じる者は、神の見方で物事を見る必要があります。「私たちの内に願いを起こさせ、それを実現に至らせるのは神である」と聖書に書いてあるからです。

筑波の科学万博では、たった一本のトマトの木に一万数千個のトマトが実る様が展示されました。その原点はたった一個のトマトの種です。そうすると、一個のドングリを見て、あなたは大きな樫の木を想像することができるのではないでしょうか。そうです、あの大きくたくましい樫の木はたった一個のドングリから生みだされるのです。

それでは、神は一個のドングリをどう見ているのでしょうか。どんな可能性を見ているのでしょうか。神は一個のドングリの中に樫の木の林を見、樫の木の森を見てはいないでしょうか。神はたった一個のドングリにも無限の可能性を見ているのです。

ましてや神は、あなたの中に無限の可能性を見てはいないでしょうか。そうだとすると、あなたも他の人の中に無限の可能性を見るべきではないでしょうか。

                         ささき みつお (弁護士)

(「恵みの雨」連載記事「どんな問題もプラスになる!」 2010年3月号)

 

このページのトップ

 

 

Copyright (C) 2008 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.