佐々木みつお
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どんなことにもくよくよするな! どんなことにもくよくよするな!
--問題解決への22突破口合言葉はDon’t Worry--
●弁護士 ササキ・アイザック・ミツオ 著
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どんな問題もプラスになる!

ささき みつお

愛は傷つく

 

どこまで人を助けるべきか 
「困っている時はお互いさま」とよく言います。しかし、困っている人を助けて親切にしてあげたのに、相手がかえって要求をエスカレートさせたり、ストーカーまがいの行為に発展してしまったりすることがあります。また、自分のできる限度を超えていると思い、「これ以上はやめて」と言うと、「相談にのってくれなかった。拒否された」と逆ギレされることもあります。 
医師を目指して熱心に勉強していた医学部の学生がタクシーにはねられ、重傷を負いました。三カ月も生死の境をさまよい、現在も通院中で、医学部復帰も危ぶまれています。タクシー会社が賠償に応じないため、裁判所に訴え出なくてはならないかもしれません。人生が音をたてて崩れていくような大問題です。  
クリスチャンとして、また弁護士として、私も多くの人々の相談を受け、助けてきましたが、やはりどんどん依存してくる人がいます。特にアフリカやアジアの貧しい人たちの法律相談は無料が当たり前で、その人と家族の生活費、はてはビジネスの支援まですることもあります。それが十年以上も続いたりします。「あなたはクリスチャンなんだから、困っている私を助ける義務があるのではないか」と聖書を引用してきたり、ひどい場合は、「こんなに苦しんでいる私のために、あなたは自分の命を捨てることができないのか!」と怒られたこともあります。私だけならともかく、時には家族にまで被害が及んでくることもあるのです。  
「あなたはそうやって人助けをして自分でいい気になっているが、実はその人を甘やかして依存症を助長しているだけではないか」。「人助けもほどほどにしないと、あなたの家族や周囲の人がかわいそうだ」。「依存者をどこまでも助けていると、いつの間にか自分も相手を助けることに依存してしまう『共依存』の関係になり、抜け出せなくなりますよ」。私のためを思って、親切に忠告をしてくれる方もいます。
「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」という使命を負っているクリスチャンは、「どこまで人を助けるべきなのか」について悩むことが多いのではないかと思います。助けるにしても、一体、どこまでやったら「愛」を全うすることになるのでしょうか。

愛は傷つく  
「愛は傷つく」。これはマザーテレサのことばです。「愛すれば傷を負う。その覚悟がない愛は本物の愛ではない」ということだと思います。聖書が示す究極の愛は、イエスが十字架にかかって自ら示された、「友のために命を捨てる」愛です。
キリスト教宣教団体「ナビゲーター」の創始者であるドーソン・トロットマン氏は、湖畔を通りかかった時、湖でおぼれている少女を見つけました。すぐに飛び込み、必死に泳いで少女を助けましたが、彼は力尽き、おぼれて命を落としてしまいました。彼の家族はとても嘆き悲しんだに違いありません。突然にして最高指導者を失ったナビゲーターも、大きな痛手を受けたことでしょう。
初めてその話を聞いた時、私は、「一時の衝動にかられ、彼は何とむだな死に方をしたのだろうか」と思いました。けれどもイエスの十字架の愛に深く触れていくうちに、「トロットマン氏に働いて少女を救ったのは聖霊であって、実はイエス様ご自身だったのだ!」と思わされ、大きな感動を受けたのです。
聖霊の働きによって、少女を救うために命を捨てたトロットマン氏の犠牲の精神は、「一人の人の救いとその人の霊的成長に全力を注ぐ」という、その後のナビゲーターの働きに脈々と生きています。ナビゲーターを通してキリストに出会った私は、その大きな恩恵を受けた者の一人です。私もトロットマン氏の犠牲の精神を受け継いで、一人の人を大切にしていきたいと願っている者の一人です。
自分の肉的な思いで人を助けることはとてもできません。本当に人を助けるには、神の愛を頂くしかありません。祈りつつ、全知全能の愛の神、聖霊の働きに頼るほかないのです。どこまでも聖霊の導きに従っていくならば、聖霊が私たちを用いてその人を助けてくださいます。相手の依存度がひどくなっても、聖霊が必要に応じて直接介入し、どこで手を引いてほかの人にゆだねたらいいのか、導いてくださいます。その人を愛して助けたが故に私たちが苦しみ傷ついても、聖霊が慰め、いやし、大きく報いてくださいます。長年にわたり、私はそういう経験を何度もしてきました。
人のためにただ犠牲になればいい、ということではありません。あくまでもその人が自立できるように助けることが、本物の愛です。ルカの福音書に出てくる「良きサマリア人」は、強盗に襲われた旅人をかわいそうに思い、手当てをして宿屋にあずけ、宿賃まで払ってあげました。しかし、彼は自分の仕事を捨ててまで被害者に付き合ってあげたわけではありません。自分の役割をわきまえ、相手が自立できるように助けました。
忘れてはならないのは、自分の使命をわきまえることと、自分も相手に依存しないことです。そのためには、こちらがいつもイエス様に完全に依存している必要があります。そして、私を助けるために十字架にまでかかってくださったイエス様の愛の力によって、私たちも人を助けていくのです。

恵みの雨、2010年12月号


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