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著者プロフィール


「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
そして人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛するものたちのために、神が備えてくださったものは、
みなそうである。」 コリントT 2:9

鈴木 由夫


クリスチャンでもない当時の私が聞いたこの言葉は、このあと起こる、「驚くばかりの神の恵み」の第一歩でした。

1999年、1月7日。
私はロスアンゼルスでこの言葉を始めて聞きました。これを聞かせてくださったのは、引退した牧師さん。場所はハリウッドに近いリトルソウルと呼ばれる韓国人街のはずれで、何年か前にあったロスアンゼルス大暴動が発生した場所の隣というから治安が余りよくない所です。名前は「ベターリビングセンター」と言って、日本風に言うと、学生下宿屋さんのような安ホテル。なにしろ1泊2食付き20ドル(2100円位)なんですから安いですよね。その引退牧師さんはそこのオーナー兼シェフ兼困った人のボランティアです。
  私は、その時ある大きな決意を秘めてロサンゼルスに行っていました。
その決意は「自殺」です。私は当時テレマーケティングの会社を経営していました。その会社の資金繰りが行き詰まり、保険金で精算すべく、新年早々ロスアンゼルスに行ったのです。冒頭の言葉はロスに着き、ベターリビングセンターについたあくる日に、お聞きした言葉です。
  ロスに自殺に行き、実際に自殺を敢行した前後に私に起きた本当に不思議なこと。それからの、そして「今の私の幸せ」な人生を考えれば、冒頭の言葉は本当に意味の深い言葉と言わざるを得ません。

 詳しいお話の前に、簡単に生い立ちからお話させていただきます。
私は1951年2月に愛知県常滑市で生まれました。常滑と言うのは来年開港する、中部国際空港ができるところで、海のすぐ隣で育ちました。小学校に上がる前に名古屋市に転居しました。取り立てて変哲のない小中学校の生活を送り、高校も名古屋市内の某私立進学高校です。退屈ながらも、まじめに通っていた高校生活のはずが大きな時代の渦の中に。最初に出会ったのは高校の1年の時、当時若者に絶大な支持を受けていた「ガロ」という月刊誌の中で「部落問題」というのを始めて知ったのです。当時の私にとっては非常に大きな衝撃でした。部落問題から始まりベトナム戦争問題、学生運動へと傾注していったのです。大学に入ってからは毎日学校には行っているのですが、授業そっちのけで真面目に学生運動をして案の定デモで逮捕、学内ではストライキと盛り上がり、2回目の2年生の時に退学処分となりました。
  そんな訳で、なかなか普通の就職は出来ません。しかし求人広告の雑誌を発行している会社が名古屋に進出することを知り、そこで入ったのが滑w生援護会=今のanを発行している所です。当時時代の波に乗ったan中部支社の第1期生です。会社の成長と共に順調なサラリーマン生活を送っていればよかったのですが、暫くするとNYに住んでいる兄に会いに行こうと思いました。そこで会社には1週間で帰ってくるからと届け出て2ヶ月のアメリカ旅行に旅立ちました。非常に大きなカルチャーショックを受け帰国し、復職したのですが、心は日本にあらずという状況でその後退職し、何度かアメリカに旅行に行きました。  
  何年かして、また縁あってanの関連会社に就職することになりました。それは当時日本には少なかった「通信販売」のノウハウを販売すると言う会社です。当時の通信販売の先進国はアメリカ、今度は堂々と勉強のため何度かアメリカに出張できたのです。
  しかし、3年経ち、その会社は東京に移転することになりました。そこで退職しコンサルタント業として自営することとなりました。35歳の時です。
  コンサルタントとして、順調に仕事をしていた時、1軒のお客様から、その後の運命を決める一つの依頼事項がありました。それは「電話の代行をしてくれないか?」という依頼でした。

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