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著者プロフィール


「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
そして人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛するものたちのために、神が備えてくださったものは、
みなそうである。」 コリントT 2:9

鈴木 由夫


電話代行業開始 − 37才でベンチャー企業社長 − 暗い道

 お客様の依頼でコンサルタント業をしつつ「電話代行業」をはじめる事となったのですが、もちろん私が業務を行うことは出来ません。そこで一人の女性をスカウトし、もう一人のパートさんを雇い、ワンルームマンションで2台の電話でひっそりと開業しました。最初は失敗ばかりで、開業して2日目にはパートさんが辞めてしまい途方にくれたこともありました。お客様の仕事もたいしたことはなく、開店休業状態に。しかし「電話代行業」のビジネスには何かがありそうな「勘」を強く受けていました。

 丁度その頃、日経流通新聞にアメリカでは「テレマーケティング」というビジネスが非常に隆盛していると言う記事がのりました。直ぐに「これだ!」と思い、会社の壁に「目指せテレマーケティングエージェンシー」という標語を張り、直ちにアメリカへ調査のため飛んでいきました。幸い通信販売業界のノウハウの仕事をしていたことが大いに役立ちました。通信販売とテレマーケティングは非常に重複している業界だったからです。アメリカで得た結論は「日本でもテレマーケティングの時代がやってくる」と言う確信でした。

 帰国後、3LDKのマンションを借り、ビジネスとして本格的にチャレンジすることにしました。ただし本業のコンサルタントの関係上、私が代表者になることは避け、スカウトした女性を代表者に2名の女性を新たに雇い「プリエール」(フランス語で祈りと言う意味)という名前の個人会社を作り再スタートしたのです。

 本来であればアメリカのノウハウをじっくり勉強してから、本格的に事業を始めるべきであったかもしれません。しかし「プリエール」は勉強する前に、営業を開始してしまったのです。女性の感性を前面に打ち出した「ピッポッパッ通信」という営業ツールを作り、テレマーケティングを駆使して、図々しくも大手一流企業に対し、営業を開始してしまったのです。さらに追い討ちをかけて、地元新聞社が大きく記事として報道したのです。

 これには驚きました。記事の出た翌日には営業先や新規のお客さもからの電話が鳴りっ放しとなったのです。それからの状況は、この会社にいた一人の女性スタッフの勤務実態を見れば、想像していただけるのではないか思います。

 彼女のそれからの年間の休日はなんと5日間のみ。週平均労働時間90時間以上、そして週に2回程は徹夜の有様です。なかでも忘れられないのは、記事が載って間がない頃のことでした。超大手広告代理店の調査専門子会社からの依頼で、テレビ局の選挙予測調査の仕事が舞い込んで来ました。まだスタッフもまともに揃っていない状況での、非常に大きな仕事でした。苦労に苦労を重ね延べ1週間ほど不眠不休で調査を行い、提出した直後に依頼主から電話がかかってきました。

「君の会社の調査結果は、よそのマスコミ全ての結果と違っている。私は君の会社の結果を信頼して発表するが、万一外れていたら二度と仕事は出さないから」と言われたのです。 選挙調査は結果がはっきり出ます。

 当然ですが投票日の夜、スタッフ全員と共にテレビの開票速報に釘付けでした。ところが、なんという事でしょう。私たちが仕事をしたテレビ局の予測結果だけがパーフェクトでした。新聞社を始め、他のすべてのマスコミが選挙予測を外していたのです。この事は、日の浅い生まれたての会社が不動の信用を得る大きな要因となりました。

 その後、個人会社は有限会社となり(社名はフランス語で祈りから希望とへ変わりました)、さらに1年半後にはコンサルタントの仕事をやめ、1989年9月テレマーケティングエージジェンシー「株式会社 テレメディア」の設立に到りました。「テレメディア」になった頃には、取引先は多くの業界でトップ企業が並び、社員・アルバイト合わせて40名程になっていました。私は37歳にしてベンチャー企業を起こし、得意の絶頂期でした。しかし表面的には順調に見えていた「テレメディア」と「私生活」ですが、裏側では大きな暗い道へと踏み込んでいたのです。

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