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著者プロフィール


「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
そして人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛するものたちのために、神が備えてくださったものは、
みなそうである。」 コリントT 2:9

鈴木 由夫


会社の清算、自殺への道

 当時の仕事で一番大きな悩みは、「情報の処理に時間がかかる」と言うことでした。

例えば、アンケートを電話で数百件収集したとするとアンケートだけをお客様に提出するのではなく、その収集されたアンケートをデータ化し、お客様が望む形でグラフなどにする必要がありました。まだまだパソコンが今のように発達していない頃のことです。この「情報の処理」のため連日の様に徹夜作業をしていたのです。

そこでアメリカに行き、同業の企業を訪問したところ不思議なものを見つけたのです。それは電話でアンケートを収集する都度、オペレーターが電話機に付いている数字を押しているのです。詳しく話を聞くと、電話機はパソコンに繋がっていて、押された数字は自動的にデータ入力されているとの事でした。「これだ!」と思い、早速その機器を購入しようと思ったのですが、日本では使用できないことが分かりました。

「既成のものが使うことが出来なければ作ればいい」そんな簡単な考えを持ったのも、当時の「得意の絶頂」で「傲慢な」時であったからかもしれません。

大手企業の協力で「アンケート収集分析システム」のソフトと電話機の開発がはじまりました。当時は開発費のことや、どの位の時間がかかるのかもキチンと計算することなく始めてしまったのです。これが後に数億円の負債を負うとは夢にも考えませんでした。しかも本業の仕事そっちのけで、週の半分は東京に出張している状態になったのです。それこそ「果てしない暗闇」に突入していったと言っても過言ではありません。

私生活も今考えると「暗闇」でした。この頃私は仕事で大きなストレスを抱えていました。周りに人はたくさんいるのですが、常に孤独でした。いつも胃潰瘍に悩まされていたのです。そしてストレスから逃れるように毎晩のように飲み歩き回っていました。さらにストレス逃げるため、カジノなどのギャンブルはじめいろんな遊びに手を出し始めました。

「女性との付き合い」もエスカレートし、毎晩高級レストランやホテルで食事をし、国内や海外旅行にも一緒に出かけるようになりました。

しかしどんなに、遊んでもストレスと言う「心の渇き」は満たされることはありませんでした。今考えるとむしろ空しさは増していくばかりでした。心のどこかで「渇くことのない泉の水」を求めていたのかもしれません。だから友人の勧めに従い「ヤマギシ会」「自己啓発」「生涯学習」などいろいろな「勉強」に参加するようになったのです。

このような経営を続ければ、どんなに可能性がある業種でも、健全に発達するわけはありません。徐々に私の会社は傾きつつありました。

気が付かないうちに大切なお客様の信頼を少しずつ無くしていました。

一人・また一人と大切なスタッフが辞めてきました。

銀行借り入れが増え、資金繰りは苦しくなっていました。

このような事態になっても私は自らの生活を正し・本業に特化するという施策をとらず「関連事業の立ち上げる」という拡大路線を取ったのでした。しかしどんな素晴らしい関連事業でも、本業・本質の問題点を放置したままで関連事業だけが成長することはありません。

1998年12月。いよいよ資金繰りはどうしようもなくなりました。

会社の整理・精算を真剣に考えなくてはならなくなったのです。

しかし、会社が倒産することはやむをえない事だとしても、どうしても破産などの手続きを取ることに対するためらいがありました。それは保証人の問題です。借り入れに際して親・兄弟や友人が保証人をしてくれていたのです。破産をすれば、私のことを信頼し、愛してくれえたがゆえに保証人になってくれていた人達に「大きな迷惑をかける」ことが、どうしても許せないし、納得できなかったのです。

そこで、最後の準備するため、12月10日アメリカに飛び立ちました。

それは「自殺」し、その保険金で会社と借金を精算するということでした。

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