クリスチャンビジネスマンへの朗報
働くことに喜びがありますか?    
>> 『参考文献』
〜信仰による労働の変革〜

アガペコミュニティーチャーチ 門谷 ユ一


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目次


U.神が与える労働の本来の姿

7.新約聖書に見る本来の労働の姿

(1)ペテロ達の漁に見る本来の労働の姿

 新約聖書に見る本来の労働の姿として、ペテロ達の漁を取り上げる。ペテロ達の漁についての聖書の御言葉ほど、本来の労働の姿を明快かつ鮮やかに表わしている箇所は他にない。ヨハネの福音書21章1節〜3節に「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」とある。これより、ペテロ達は夜通し漁をしたが、何も取れなかったことが分かる。このように、人間の力によって行う労働は、時として何の成果をももたらさないことがある。即ち非常に低い生産性、低い効率の労働に終わる。

 しかし、彼らがイエスの言われたことに従い、その通りに行った時、彼らの網には大量の魚がとれた、「イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。」(ヨハネ21:6)。彼らは指示を与えられたのがイエスだとは知らずにその通りに行った。その結果想像を超える大いなる成果をあげることができ、それは彼らを驚かせるに充分であった。  

 このペテロ達の漁から、大いなる成果の源はただイエスにあり人間にはないこと、又神のみが溢れるほどの豊かな成果を与えることができること、を知ることができる。人間の力だけであげうる成果は、たとえそれが人の目には大きいように見えたとしても、それは一般恩恵の枠内に留まる成果でしかないことを覚えたい。

(2)パウロに見る本来の労働の姿 [19]

 パウロは手職を身につけていた。それは、使徒行伝18章3節で「天幕作り」と呼ばれているものである。彼は宣教者でありながら自分の手で働いて生計を立てていることを誇りにしていた、Tコリント4:12。パウロの具体的な労働内容は明らかではないが、彼の労働に対する姿勢は、既に『本文』第U章4節の“労働をどのように行うべきか”の箇所で、彼の言葉を引用しながら次のように要約した、(a) 自分の仕事を、自分の手で、身をいれ、労苦して行うこと、(b) 正しく、静かに行うこと、(c) 外の人々に対してもりっぱにふるまえるよう、又身をもって他の人に模範を示すことができるように行うこと、(d) 真心から地上の主人に従って、主に仕えるように善意をもって行うこと、(e) キリストのしもべとして、心から神のみこころを行なうように行うこと[19]。パウロが自分の労働をこれらの御言葉通りに行ったことは想像に難くない。パウロにおいて労働は、『本文』第U章1節の“労働の目的と理由”の箇所で述べた次の項目をそのまま満たすものであったということができる、(a) 労働は神のための奉仕である、(b) 労働は神を礼拝することである、(c) 労働は人のための奉仕である、(d) 労働は恵みを受けることである、(e) 労働は必要を満たすためである。

8. まとめ 

 神が与える労働の本来の姿について、色々な角度から見てきた。労働の本来の姿がどんなに素晴らしいものであり、それが喜びと恵みと祝福に満ちたものであるのかを知ることができた。

 我が国においては神を知らない人が大多数であり、キリスト教徒は神を知らない多くの人達に取り囲まれて働いている。従って労働の場において、神が与える労働の本来の姿を、少ないキリスト教徒のみで取り戻し回復することは、極めて困難な状況であると思われる。しかし私たちは、神に不可能なことはないこと、神には無限の力があることを覚えたい。私たちキリスト教徒一人一人が喜びと希望を持ち、置かれたそれぞれの労働の場の中において、又労働の場の外から、神を証しし、福音を大胆に述べ伝え続けていくことが肝要である。

 そのためにも、現状の労働の姿が、あるべき本来の労働の姿からいかにかけ離れたものであるかをしっかりと認識する必要がある。次にその神から離れた労働の姿について見て行きたい。

(神が与える労働の本来の姿総括)

神が与える労働の本来の姿

 

《労働の場》           人   間  》          《神》

[物質的部分][                

 

エデンの園          ←→                     

(祝福の場所)    (五感)    (知性・感情  (神との交わり     

                   ・意志・能力)  良心・洞察力)

 神が与える労働の本来の姿においては、エデンの園は祝福の場所であり、アダムとエヴァには聖霊は内住していなかったが、彼らは自分の霊によって神と充分に交わることができ、神からの祝福が豊かに注がれていた。労働の姿は全体として祝福の構造、罪のない構造にあった。

・労働と信仰との関係―労働と信仰は一体化(神が共におられた)

・人間の霊―神と交わることができる状態(聖霊の内住はなかった)

・労働の場所―エデンの園(祝福の場所)

・労働の状態―喜びと多くの祝福に満ちたもの

 


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