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〜信仰による労働の変革〜

アガペコミュニティーチャーチ 門谷 ユ一


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目次


W.信仰による労働の変革

5.信仰は労働にどのような形で働くのか A 

・人間に対する聖霊の働き            
  労働に対する聖霊の具体的な係わりを考察する前に、先ず人間そのものに対する聖霊の働きを見ることが肝要と思われる。この聖霊(神の霊)と霊(人間の霊)との関係の問題、即ち相関関係の神学[35]については、ルターやカルヴァンのような宗教改革者は、自分達の福音の理解によって次のような結論に到達せざるを得ないと感じた。「人間の熱望は、神の恵みに出会うのに何の役割も果たさない。この出会いにおける人間の霊の役割は、完全に受動的なものである。なぜなら、人間は、聖霊によって生かされ、新たにされるまでは霊的に死んでいるからである」、即ち宗教改革の神学は、人間の霊を人間が福音と出会う時の一つの要因であるとすることを事実上排除した。しかし、彼らはこの結論から生じる困難を感じていないわけではなかった。この宗教改革者の立場には、聖書釈義的な根拠に基づいて疑義をさしはさむ余地がある。聖書釈義的な根拠の一つとして、Tコリント第2章の長い論議の内に見出されるパウロの教えは、人間の霊は人間が神の霊と出会う器官であるということである。しかし、人間の内に人間の霊が存在すること、それだけで人間が神の霊に関係するようになるのではない。なぜなら、神の霊は、賜物としてのみ受けることのできるものだからである。それにもかかわらず、自己超越の能力としての人間の霊と神の霊の間に見られる類比から、その賜物を受けることにはこの能力が前提とされていることが示されている。神の霊に属する事柄を受けてもそれを見分けることができない人は、生まれつき構造的にこの能力が欠けている人ではなく、むしろ霊の自由を誤って用いたために、その能力を喪失した人であると考えるべきである。なぜなら、神の霊を受けることの代わりは、霊的でなくなることではなく、この世の霊を受けることであるからである[35]。
  さて、人間そのものに対する多くの聖霊の働きがある中で、特に労働に関与するであろうと思われる聖霊の働きを以下に示す。理解を助けるために、聖霊の働きを「神のかたち論」の枠組みを活用し、その分類に従って見ていくこととする。分類としては、実体論的な聖霊の働き(義認、救いにおける聖霊の働き)、関係論的な聖霊の働き(聖化における聖霊の働き)、機能論的な聖霊の働き(召命における聖霊の働き)の三つである。

実体論的な聖霊の働き(義認、救いにおける聖霊の働き)
(a) 聖霊は人間をキリストにある新しく造られた者に新生する(聖霊による新生)、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Uコリント5:17)、「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)。聖霊は人間を、キリストにあって良い行いをするように造られた作品にする、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)。そして真の義と聖とを備えた神にかたどって造られた、新しい人を彼のうちに植え付け、「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:24)、人間を新しくなるようにする、「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」(テトス3:5)、その他、ローマ8:9、11。この新生において聖霊は人間の霊に触れ、新生は瞬時的に起こる。この霊自体は人間のあらゆる活動の源であり、聖霊は問題の中心部(人間の魂)、即ち人間のあらゆる活動を生み出す中心的な源にまで達する。人間が意識の中心(自我、魂)を持っていて、そこから全ての思いと行動とが出てくることは聖書が明らかにしている通りである、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)、「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:21〜23)。魂は人間存在の中心であって、あらゆる思いと意志と感情、さらにあらゆる種類の外に現れた行為の源である。聖霊は人間の魂の性質を、罪を愛することから神を愛することに変えて下さる。聖霊は人間に新しい知性や意志、あるいは感情を与えられるのではなく、人間の知性、意志、感情が、神に反抗してではなく、神のために用いられるように方向を変えられるのである。この新生において聖霊はまったく主権的であり、聖霊は願うように働かれる[20]。霊と魂が相互作用すると、良心は意志に影響する。良心が安んじていれば神の前での確信を持った意思決定ができる。洞察力(霊的直感力)は思いに影響する。霊で受けた印象は思いによって御言葉と照らしながら解釈され、観念化され、言語化される。交わりは感情に影響する。霊なる神との霊における交わりは、私たちの感情に触れ、感情を沈静し、その愛が甘く迫り、歓喜を生みだす[16]。

(b) 聖霊は啓示によって神御自身を、真理を、真の知識を示す。聖霊はまず一般啓示によって真理を積極的に啓示する。又特別啓示である聖書を与える。この聖書は自然の中に啓示されているもろもろの真理を正しく理解するのに必要であるし、自然界に啓示されていない事柄を知るのにも必要である。そして聖霊は霊的に働いて、人間がこの二つの啓示によって示された真理を理解できるようにする、「この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。」(Tコリント2:13)、「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(Uペテロ1:21)、その他、Uテモテ3:16[20] 。聖書の御言葉と聖霊とが同時に働き相互作用するとき、その御言葉は命になる[16]。私たちの霊は御言葉を通して聖霊と感応するのである。聖霊はイエスがなされた客観的な霊的事実(=真理)を、私たちの内において主観的な経験に卸して下さるのである[16]。

(c) 聖霊は人間の生活の中に入ると彼の霊的な目を開くため、彼は神の御霊に関する事柄を知ることができるようになる。聖霊なしには、人間は盲目であり、啓示された真理を見ることが出来ない。しかし、聖霊の働きが力をあらわすとき、人間はすべてのことを知る、「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」(Tコリント2:14〜15)、その他、エペソ1:18、Tヨハネ2:27、ヨハネ16:13〜14、ヨハネ15:26[20] [36] 。聖霊が私たちの霊と相互作用するとき、霊的な光が輝く。聖霊の照明の下では、自分の様々な真実を否応なく見るが、他人を見るように極めて客観的に冷静に自分を知ることができる[16]。そして聖霊は、知恵と悟りと主を知る知識とを与え、又主を恐れることを教え、イザヤ11:2、更に人間の洞察力を鋭くする、ヘブル5:14[33]。更に聖霊は、私たちの生活に神の意志を伝えるように導く源となる、ヨハネ14:26、ローマ8:14、Tコリント2: 10〜11。この時聖霊の指導書である聖書を充分に読み、祈り、私たちの能力を最大限に用いることが必要である。特に聖霊は私たちに祈らせるようにするだけでなく、私たちのために祈り、とりなしをする、ローマ8:26〜27[20] [36]。

関係論的な聖霊の働き(聖化における聖霊の働き)
(a) 聖霊は交わり、祈り、賛美と礼拝の祭壇、等を通して人間と神との関係を強め、Uコリント13:13、人間の良心を敏感にし、この世に罪と正義と裁きとを認めさせる、ヨハネ16:8[33]。

(b) 聖霊は人間を聖化する。聖霊は人間に新生を与えて新しくし、きよめ、導き、人間の内に住み、人間の心の板に書き記す。そして聖霊に従うことによりイエスの生き方が私たちの魂の領域で追体験され、再条件付けされていく。キリストの形が出来てくる[16]。魂は、霊から照らし込む霊的な光によって露にされ、詩篇36:9、古い価値観や生き方などが廃棄されるごとに、エペソ4:22、コロサイ3:9、御言葉によって再構成されることにより、コロサイ3:16、思いから造りかえられていく、ローマ12:2。意志は神に対して柔らかくされ、感情は神の愛で潤されて平安と安息に満ち、思いは神の言葉に沿った考え方が条件付けられて行く。こうして心の中にキリストの形が造られていく、ローマ8:29。そしてそれらによる実が結ばれて行く、ガラテヤ5:22〜23。これは主なる聖霊の働きによるのである、Uコリント3: 18[16]。キリストにあって勝利の生活をするには、聖霊が絶対に必要不可欠である。聖化においては、新生の場合と同じように、聖霊は人間の魂に影響を与え、しかも人間の一部分ではなく全体に影響を与える、即ち意志も感情も知性もすべて聖化する箴言4:23、ローマ6:5〜6。この聖霊による聖化の過程は斬新的であるが、斬新的なプロセスは、死の瞬間に瞬く間に完成される[20]。

機能論的な聖霊の働き(召しにおける聖霊の働き)
(a) 神の召しに応じて神の働きを進めるとき、聖霊は人間に多様な賜物を与え、Tコリント12:7、12:11、14:12、エペソ4:11、ローマ12:6〜8、異言や預言を与え、使徒2:17〜18、19:6、エゼキエル11:24、ヨエル2:28、仕事に必要な熟練をも与える、出エジプト31:3〜5、創世記41:38、士師記6:34、Tサムエル16:13[36]。又はかりごとと能力とを与え、イザヤ11:2、更に力を与える、使徒1:8[36]。ヤコブ1章17節の御言葉「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」の通りである。

(b) 聖霊は人間を完全に満たすことができ、又人間の内から悪霊を追い出すことができ、マタイ12:28[36]、罪と戦う力を与える。

 

 

 

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