「叫ぶ石」     >> BackNo

川端 光生


著者プロフィール

 

光の中のふるさと

私は、18歳で郷里を離れた。

私の郷里は何もかもが暗かった。秋は昼ごろまで霧が晴れず、冬はどんより低い雪雲が終日垂れ込め、春は黄砂でやはり一日中かすんでいた。その名も、裏日本の山陰地方。しかも私の家は山の谷間に開けた集落で、日照時間も少ない。家も暗かった。造りも暗かったが、家庭も暗かった。家は貧しく、父は身体障害者で、家族間には争いが絶えなかった。そんな家は、クリスマスから正月にかけてが一番暗くなる。私の性格も暗かった。周囲からは「陰気くさい」とよく言われた。あの頃10年近く毎日つけた日記も暗い。日記の表紙には、「血の呪い」と赤字で大きく書いてある。

だから、早く郷里を出たかった。大学進学で東京に出ると、盆や正月には一度も帰省していなかった。大学の休暇中にも、あまり帰らなかった。親の気持ちはほとんど考えたことがなかった。自分は、あの地方とあの家の犠牲者だ、と勝手に思っていたようだ。

郷里を出てから35年になる。今回帰郷して、子どもの頃親しんだ山道や川沿いの道を歩き、小学校や同級生の家などを見て回った。もう小学校は廃校、級友らも家にはいない。日本海に続く北の山々を眺めて、無性に悲しくなった。

今の郷里は、70代、80代の老人ばかりである。無人の家が何件も朽ちている。ほとんどの家が、同じ運命をたどるであろう。私の親の家もやがてそうなる。

東京に戻る前夜、クリスチャンの母に、Iテサロニケ5・16〜18を正確に暗誦できるまで、何度も何度も復唱してもらった。何があっても、まず「いつも喜んでいなさい」だよと、言い聞かせると、「そのとおりや」とうなずいていた。理解力がかなり落ちた父にも、「キリストを信じれば、家族みんな、天国へ行ける」ということは、わかってもらえたようだ。クリスチャンでなかったら、両親に一体どんな希望を語れるだろう。帰りの山陰本線特急列車の中で、あの山奥に伝わった福音の不思議さを思った。


 

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