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川端 光生



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犠牲を払う価値

 経済産業省の試算によると、企業と家庭が最先端の省エネ技術や機器を最大限導入した場合、CO2の国内排出量は2005年度の温室効果ガス総排出量に比べ、20年度で13%、30年度は22%削減できるそうだ。この改善で、「欧州委員会の掲げる目標に遜色ないレベルの排出量削減が見込める」とのこと。ただし、企業と家庭の負担は家電の買い替えなどで、20年度までに約52兆円が必要と推計している。

 52兆円とは途方もない額だが、地球温暖化阻止のためなら犠牲を払う価値はある。私たちは長い間、経済のために、また利便で楽な生活のために、より大切なことを犠牲にしてきたのだ。そのツケを支払う覚悟はしなければならない、いや、喜んでそうしたいと思う。でなければ、人類と地球の未来に希望はなくなる。

 たとえ中国やインドが排出量削減のための規制をしなくても、そんなことには関係なく、日本は欧州と同じように黙々と犠牲を払うべきだ。日本国民にも、犠牲を払おうとする人としない人がいるだろう。でも、そんなことにはおかまいなく、私たちは払うほうを選ぶべきだ。

 そもそも、他者のために犠牲を払うことは、キリスト者の義務であり、喜びであり、主の歩まれた道を行くことである。進んで犠牲を払うその先に、必ず道が開けて行くと信じる。自らを犠牲にした人々が、生かされて奇跡を見る日が来ると確信する。犠牲を払わなかった人々や国々が悔やむほどに。

 さて、今日は復活祭。キリストは全人類の罪のために自らのいのちを犠牲にし、十字架にかかられた。そして、3日目に死に勝利し、復活された。私たちは、主の十字架と復活を身に受けた者として、この地上生涯を歩みたいと思う。十字架の死がなければ、復活の日もなかった。犠牲がなければ、いのちの道が開かれることはないのだ。日常生活の中で、主の復活の力を味わうために、自分の十字架を負うことをいとわないようにしよう。復活の奇跡を見ることを信じて、キリストとともに十字架にかかることを喜ぼう。


 


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