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川端 光生



Quiet Time

聖書から励ましの言葉
覚えるための聖書
覚えるための聖書

1 −毎日1節の学びー
ヨハネの福音書 
コリント人への手紙T・U
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私たちのリーダー

鳥取県の小学校は、過去20年間、学級委員長を置いてこなかった。「リーダーを選ぶのではなく、平等を重視すべきだ」との考えで、徒競走でも順位を決めないほどだ。それが、この春、1校が学級委員長を置くことになった、というのでニュースになった。

「リーダーのいない国は滅びている」「リーダーを育てない民族に将来はない」というのは、歴史が示す事実である。日本は長年、リーダー不足に悩んできた。しかし、リーダーを育てていないのであれば、どうしようもない。「君がリーダーになれ」と言われて、突然なれるものではないからだ。

ところで、聖書に登場するリーダーと、この世のリーダーとでは、質が異なる。

モーセ、ヨシュア、ギデオン、デボラ、サムエル、ダビデ、ペテロ、パウロ・・・聖書のリーダーたちは、「私が先頭に立つ。私について来い」というタイプではない。「主なる神が先に立たれる。一緒に主について行こう」と、民を励ます人である。自分で立ったのでも、人に選ばれたのでもない。主に選ばれ、主によって立てられた人である。

パウロは、「私にならう者となってください」という(Iコリント4・16)。パウロの何をならうのか。「キリスト・イエスにある私の生き方」(17)である。つまり、パウロは、自己犠牲的に、主に従っている自分の姿を見せて、「一緒に、主にお仕えしよう」と言っているのだ。

リーダーは、悔い改めた罪人に過ぎないという謙遜さを失わない。自分の弱さや欠点を知っており、それを隠さない。私たちを救い出してくださったキリストだけを指し示し、神の国を求めて、率先して主に従っていくだけである。「俺について来い。俺が幸せを保証する」と言わなくてもいい(いや、言ってはいけない)のだ。自分の能力を見せつけて、人を感服させなくてもいい。ただ、どんな状況に立たされても、主を指し示すことだけは止めない。「それでも、一緒に愛の主に従おう」「一緒に全能の主に祈ろう」「一緒に主の教えを学ぼう」と励まし続ける。

謙遜で、聖霊に満たされれば、リーダーは育つ。教会は、年齢に関係なくリーダーを生み出さなければならないと思う。「無学な普通の人」(使徒4・13)である漁師が、初代教会のリーダーだったことを忘れてはならない。

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