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著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

最初の奇跡――大学院合格

 

 一九七八年一月十五日、卒業論文を提出した。

「ロシア正教史研究―ニーコン改革と分離派教徒」と題する論文であった。提出した時、一生このような宗教史を研究したいという思いが強く与えられた。私の内的促しは、明らかに大学院への道であったのだ。そこで急いで、大学院の入試要項を求めた。このような研究ができるのは、東京大学の国際関係論か、東京外国語大学の地域研究科であった。他の大学院には行く気がなかった。東京大学の院入試は一週間後、東京外国語大学は二週間後であった。時がなかった。そこで私は祈りつつ、入試までやるべきことの計画を立てた。英語は「試験によくでる単語」、ロシア語は、「ロシヤ基本単語集」、大論文対策には「国際関係論」(大平著)を選び、内容の要約カードを作り、徹底的に暗記することにした。専門用語説明問題の対策としては、哲学用語、国際政治用語、歴史用語に分けて、友人と三人で分担して予想問題を作った。私は歴史用語を担当した。覚えるべきものを日数で機械的に割り、「実現不可能の計画」という名の計画を立てた。あとは、実行するのみであった。

 その頃、愛用の腕時計が壊れ、初めてデジタル時計を買った。一秒ごとに変わる時間表示にどぎもを抜かれ、時間感覚が変わった。一秒でも大切にしなければならない。

 朝八時に起き、三十分聖書を読み、「今日の計画が実行できるように」祈る。大学に行き、生協喫茶店でモーニングセットを食べ、九時から午後五時半まで、ひたすら勉学。下宿に帰り、六時から三十分間、テレビの「笛吹き童子」を見る。夕食を取り、七時から十一時まで勉学。そして三十分聖書を読み、祈って寝る。今考えると、十二時間近く勉強したことになる。

 このような日が機械的に続いた。さすがに一週間後の東京大学の試験には間に合わなかったが、二週間後にはすべて不思議なように実行された。実現不可能な計画が実現されたのである。

 試験当日も、祈りをもって始まった。まずは語学試験。英語は難儀したが、ロシア語は不思議なほどスラスラ訳することができた。専門用語説明問題もほとんど解くことができた。特に、歴史用語として私が予想していた用語のほとんどが出題された。驚いたのは最後の論文問題であった。「国際関係におけるバランスオブパワーについて論ぜよ」という問題であったが、これは、私が出るだろうと予想していた問題であったのだ。やまが完全に当たったのである。ほぼ完璧な答えができたと思っている。

 一九七八年、二月七日。よく晴れた朝であった。掲示板には、私の名前が誇らしげに書かれていた。神様に感謝した。奇跡であった。劣等生が国立大学の大学院に合格したのである。

 三月の卒業式後のパーティーの席での話。私は、真っ先にロシア語で苦しめられたI先生のところへ挨拶に行った。

「先生どうもお世話になりました。」

「あ、君か。そうだね。それで君は今後どうなるのだね?」

「先生。大学院に合格しました!」

I先生は、一瞬たじろいだ。そして、私の顔をじっと見て、はきすてるように言った。

「じゃあ、君が、あの、黒川か!」

 ロシア語研究室では、予想に反して、全く可能性のなかった黒川という学生が大学院に受かったということでもちきりであったらしい。

  みこころならば、どんなに不可能なことも神様が可能にしてくださるのである。  

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