Back No <1> <2> <3> <4> <5> <6> <7> <8> <9> <10> <11> <12> <13> <14> <15> <16> <17> <18> <19> <20> <21> <22> <23> <24> <25> <26> <27>
<28> <29> <30> <31> <32> <33> <34> <35> <36> <37> <38> <39> <40>
<41> <42> <43> <44> <45>



著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

絶望の中で

 かつて修士課程の時にしたのと同じように、今後の進路の客観的情報と自分の内的促しとの組み合わせパズルを、祈りをもって求めていった。そうして与えられたのが以下の考えられる進路であった。
国内の大学院については、
(1)東大の修士課程に入り直す
(2)東大の博士課程に入る
(3)一橋大の博士課程に入る
(4)筑波大の博士課程(五年制)に入る
国外については、
(1)アメリカに留学する
(2)ポーランドに留学する
(3)イスラエルに留学する
指導教授にこれらの計画を図示して見せて相談すると、「東外大で修士号を取ることになるから、東大の修士課程を受ける必要はないだろう」と言われ、アメリカ留学を勧められた。そこで国内の@プランは消えた。私も修士課程の試験を再び受けたくはなかった。
私の父は長年地方公務員として香川県庁に勤め、私が大学院に入る年に定年退職になった。そして会社員になったが、家はそれほど裕福ではない。したがって、家からの財政援助は修士課程まで、と親とすでに契約を結んでいた。留学するなら自費では行けない。奨学金を獲得するのが前提となる。
私は、専門がロシア史でありアメリカ研究に無関係であるために、規定上、フルブライト奨学金には応募できなかった。そこで、ロータリー奨学金に応募することにした。また、修士二年時に応募したが応募者に大学教授がいたために選ばれなかったイスラエル国費奨学生にも再び応募することにした。アメリカは二年後に、イスラエルは一年後に奨学金が授与されるのでこの二つの奨学金は支給時期が重なることはない。
「留学しても根なし草にはなるな」との志水先生のアドバイスがあった。やはり、留学するにも、まず日本の大学院の博士課程に席をおいていないと日本に戻れなくなる。東大と一橋大はだめでも、筑波大だけは何とか合格しておきたい。筑波大の博士課程は五年制であり、実質上、修士課程の入り直しとなるからである。
そこで、筑波大の大学院入試の前日に、指導教官となるであろうI先生の御宅を訪問した。I先生には、修士論文を書く時にも、また、イスラエル国費奨学生に応募する時にもいろいろお世話になっていた。希望を持って、土浦駅からバスに乗り、先生の御宅を訪問した。先生は、開口一番、「僕の専門は、古代ユダヤ史であるから、君を指導することはできない。たとえ、明日の筆記試験で君が百点取ったとしても、僕は君の指導教官にはなれないから、受けても無駄だ」と言われた。
私の希望は途絶えた。ただ、イスラエルの知り合いの教授に私のことを推薦してあげようと彼は言ってくださった。
寒風ふきすさぶ二月。夕暮れの土浦駅。その晩に泊まる予定にしていた土浦めぐみ教会に電話をして悪いがキャンセルした。
常磐線の古めかしい汽車に乗った。四人がけ椅子の窓際に深く座り込んだ。そして今あったこと、耳にしたことを眠りによりひたすら忘れようとした。
まずは大丈夫だろうと思っていた第三志望の道が閉ざされたのである。東大か一橋大の博士課程に外部の者がはいることはまず無理だと先生方から言われていた。前例もない。不可能だと思われた。神様はそれでも不可能を可能にしてくださるのか?

 

top

Copyright (C) 2004 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.