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ライフワークの発見と実現


黒川知文

高二の時の祈りのこたえ

 推薦書を含む応募書類をしたためて、三才の娘を連れて千代田線で本郷に向った。根津駅で下車して階段を上ると、雨が静かに降っていた。傘をさして右手の道路沿いに坂を上って行った。途中に弥生土器発掘の碑があった。そこを左、そして右と曲がり、古めかしい弥生門から東大にはいった。
黄色い葉をかろうじてつけている銀杏の並木道。レリーフの彫られたいくつかのどっしりとした校舎。そびえる安田講堂。さすがに総合大学。規模の大きさと歴史の長さを感じさせられる。学部から大学院へと学んだ東京外大や一橋大学は総合大学ではないので、敷地も狭く校舎も小さかった。留学したエール大学は総合大学であり、町のほとんどが大学であった。そのエール大学を思わせるようなキャンパスである。
うす暗いアーケードを通り、文学部事務室にたどりつく。応募書類を若い女性の職員に渡そうとした時、突然、先程から妙に押し黙っていた娘が、「おとうさん、うんち」とはっきりとした声で訴えた。事務室で仕事していた他の幾人かの職員もこの声に微笑んだ。しかたなくトイレに連れて行った。トイレの中で書類を点検した。
応募書類を提出して、面接試験が翌年の二月十六日金曜日の午後になるといわれた。面接試験はおそらくこれまでの研究に関してのものであるから、自分の発表した論文や著書にひととおり目を通すことにした。
一九九〇年二月十六日。私には宗教学研究室に知人はひとりもいなかった。面接試験の日にはやや緊張して文学部の大学院棟三階にある宗教学研究室に向った。こぢんまりとした研究室の戸口で背の低い眼鏡をかけた神経質そうな痩せた学生に出会った。面接試験はここですかと聞くと、彼は「あ、あなたが外部から受ける方ですね。」と言って本棚に囲まれた左の部屋で待つことを教えてくれた。彼も受験生であった。今年は東大内部から博士課程に進学しようとする人は当初は十名近くいたが、半分以上は途中であきらめたとのこと。
やがて彼の面接が終わり私の番となった。本で囲まれ、真ん中に大きな机のあるつきあたりの部屋で面接試験が始まった。試験官は四名。机の向こう側に一列に座している。目の前の初老でやさしい目つきの小柄な先生が司会となり、まずは私がこれまでの研究と今後の研究計画を説明した。その後に質疑応答が始まった。
「君の行っている教会はファンダメンタリズムの教会だね。私のことをきっと悪魔扱いしているだろう」眼鏡の先生がそういった。
「カルヴァンの神学の伝統に立つ教会です」とだけ答えた。
右に座していた大柄な先生が特に研究内容に関するいくつかの質問をした。
二十分ほどにわたる質疑応答の後に司会の先生が以下のように説明した。
「すでに博士課程を終えて、私立大学の教員になっている人がここの博士課程にはいれるかどうかについては、すでに前例がありますので問題はありません。かつて、米国人ですが、ハーバード大学の博士課程を終了して日本の大学の専人教員となり、ここで学んだ人がいました。どうかここで研究を広げてください。」
柔らかな親切そうな声であった。四名の先生皆が私を暖かく迎えてくれるような素振りであり、「よろしくお願いします」と挨拶して、面接試験は終わった。
面接の感触からいって、まず合格だろうと思った。だが、私には過去において東大に四度敗北した経験があるので、合格発表の日まで祈り続けることにした。高校三年の時、浪人の時、修士課程と博士課程の四回にわたって挑戦したがすべて不合格であった。ことさら慎重にならざるをえないのだ。東大は私の人生にとって克服するべき壁であった。
2月21日、水曜日。よく晴れた寒い日だった。午前十時に合格発表だが、十一時頃にひとりで見に行った。名前があった。かつて高校二年の時に信仰によって望んでいたことを、この日、神様が実現してくださった。

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