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著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

神様の最善の導き

 私は、人生は学びだと思っている。年をとっても学び、地上生涯を終えるまで学び続けていくものだと思う。学べば学ぶほど知らないことがわかり、知識欲が強くなっていく。

 一九八五年、エール大学歴史学研究科博士課程を終えた頃、日本の関西の公立大学と私立大学から教員への就職の話があった。さらに、明治学院大学で講師として教えてほしいという話もあった。エール大学では、指導教授がいなくなり、研究員であったという事情もあり、一応、エール大学での学びをやめ、帰国することに決意した。

 帰国して、まず、関西に行き、公立大学の人事担当教授に会った。非常に可能性のある人事とのことであった。

 その後、東京にある短期大学の学長から懇談したい申し出があった。その大学は文部省に四年制の神学大学になるのを申請したいのだが、事前に、文部省から、教員の学的レベルに問題があると指摘され、申請できなかったとのこと、私にぜひとも助けてほしいとのことであった。学長は、地図を机に広げて、四年制大学の移転先が、私の住んでいる所に近いということも強調されもしていた。

 「『国立大学の博士課程修了者が一人もいない』と文部省から言われたのよ。ですからお願いします。」と、女性教授からも協力をたのまれた。

 私は祈り、この大学に協力し、関西の大学の申し出はことわることにした。なぜなら、この大学では教えながら、神学を学ぶことができるからであった。

 将来、学生に伝道するためにも、また、信徒伝道者、さらには牧師として働くためにも、神学をしっかりと学びたいと、以前より思っていた。エール大学でも、神学校の公開聖書講座(福音主義のもの)で学んでいた。そこで、自由に神学を聴講できることを条件に、短期大学にて教えることになった。その大学は、かつて一橋大学大学院時代に聴講したことのある大学でもあった。

 教える科目は二コマ。家から短大までは電車で二時間半もかかる。そこで、一泊二日で教え、その間、できるだけ聴講して学ぶことにした。組織神学、歴史神学、実践神学などを、水を得た魚のように、新鮮な気持ちで学ばせていただいた。三年後には、聖書語学をのぞくほとんどの神学科目を学び終えようとしていた。そういう時に、東大の宗教学で学ぶ道が開かれたのであった。

 東大の大学院博士課程は、一橋大学と同様に入学するのが極めて困難である。欧米で博士号(ph.D)を取得していても不合格になり、修士課程からやりなおす者もいた。しかし、いったん入学すれば、取得するべき単位は少なく、自由に学ぶことができる。三年間で取得すべき単位は最低五単位にすぎず、大学で担当する科目も少なく、難なく両立することができた。

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