Back No <1> <2> <3> <4> <5> <6> <7> <8> <9> <10> <11> <12> <13> <14> <15> <16> <17> <18> <19> <20> <21> <22> <23> <24> <25> <26> <27>
<28> <29> <30> <31> <32> <33> <34> <35> <36> <37> <38> <39> <40>
<41> <42> <43> <44> <45>



著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

博士論文執筆命令

  「君はすでに学術論文をいくつか執筆している。それに今後の研究を加えて博士論文を書いてほしいと思っているのだが、いかがかな?」指導教授は私を直視して言った。
  私は驚いた。博士論文は五十才から六十才になって書くべきものであり、まさか三十代の自分が書くように勧められるとは。信じられなかった。また、これまで学会誌などに発表した論文も博士論文に含めてよいことを初めてこの時知った。それなら書けるかもしれない。
  「いつ頃に書いたらよいのでしょうか。」
  「そうだな、博士課程を終了して三年以内であるが、規定によれば博士課程三年時でも書くことはできる。だが、今後留学生の何人かに書いてもらうことになるから、君はその次になると思う。いいね。」
  「はい。」
  指導教授は幾分安心した表情になった。
  研究室から出て大きく呼吸をした。心の奥底から感動ともつかない熱い思いが湧き上がってきた。東大で博士号を取得するとは、もし実現されるとこれほど大きな名誉はない。世界的に見ても学者としての保証を得ることになる。まさか自分にそのような機会が与えられるとは。先ほどまでの話が夢のように思えた。
  私立大学と異なり、概して国立大学の文科系の伝統的学問に対する博士号は例外的に授与されるものであった。従って国立大学においては博士課程修了が最終学歴であった。もっとも正式には「博士課程単位取得中途退学」であるが。
  すでに学んだ一橋大学においても社会学博士号はまず授与されていなかった。昭和29年以来、誰も社会学博士号を取得していなかった。一橋大学の指導教官も博士号を取得していない。だが、私が博士課程を終了した数年後に、一橋大学は博士号(社会学博士)を授与するように政策を転換した。博士号がないと大学教員への就職に不利であるからだ。留学より帰ると私のゼミの後輩は社会学博士号を授与されていた。私は先を越されたと思ったがしかたがなかった。再び一橋大学の博士課程に戻ることもできない。あきらめざるを得なかった。
  また、エール大学においても博士号を取得するのは極めて困難であった。歴史学研究科の場合、留学生は一般的には十年かかる、と言われていた。指導教授がいなくなり、大学院科長からは「エール大学の歴史学修士号で十分米国においても大学で歴史学を教えられます」と言われ、博士号取得を断念して帰国したのであった。

  かくして博士論文執筆命令がくだった。                        

top

Copyright (C) 2004 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.