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著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

最初の障害

 十一月に博士論文執筆申請書を提出した。十二月二二日が提出締め切りである。十一月下旬に大学の講義を終えてから仕上げる計画をたてた。すでにできている一章を指導教授に郵送した。
  十二月五日、指導教授から電話があった。いつになく低い声であった。翌日、本郷のとある喫茶店にて話をすることになった。
  「黒川君。博士論文の読者は研究者だ。学者なんだ。だから、相当学問的に高い水準のものでないと認められない。しかも、博士の学位を授与するからには、学位論文には二つは新たな観点が必要だ。それまでの学説と対決するような、ディスカッションがなければいけないのだ。オリジナリティーがなければだめなんだ。君の論文を読ませてもらったが、これでは不十分だ。もし、無理だったら来年に延ばさないか?僕も大学の仕事が忙しくてあと一ヶ月では提出はとても無理だろう。」
  私が提出した一章は論文の序の序にあたる部分であった。それを指導教授にわかってもらわねばならない。
  「先生、二章と三章をもってきました。これを読んでいただいて、先生がまだ学問的水準が低いと判断されるのでしたら、私もあきらめて来年にいたします。」
  二章と三章は私の論文の核となる部分であった。これがだめなら私は博士論文は書かない決意をしていた。自分の研究は東大の水準に達しえないものだとみなさざるをえないからだ。この章はいわば最後の切り札である。
  その晩、十一時過ぎに指導教授から電話があった。うってかわって明るい声。
  「黒川君、いいじゃないか。良い内容だ。新しい理論が二つ提示されており、ディスカッションも展開されている。いいよ、いいよ、これなら問題ない。僕が添削するから他の章もファックスででき次第送ってくれたまえ。」
  この日から戦争のような日々が続いた。締め切りまで十七日しか残っていない。

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