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ライフワークの発見と実現


黒川知文

シュヴァイツァーに学ぶ   >>シュヴァイツァーの生涯(PDFファイル)

2 生い立ちと幼少期

環境
  シュヴァイツァーの生まれたアルザス地方はフランスとドイツの国境にある地方であり、三十年戦争、フランス革命、ナポレオン戦争、普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦により、そこでは絶えず帰属をめぐる抗争がおこなわれてきた。現在はフランス領になっている。
  フランス語とドイツ語、ラテン文化とゲルマン文化、カトリックとプロテスタントの融合する環境。しばしば天才は相異なる文化が融合する圏において生まれるが、シュヴァイツァーについてもあてはまる。狭い教派主義や民族主義ではなくて、寛容な国際的視野を培う地に育った。それも温和で恵まれた自然の中で。

遺伝
  父親はプロテスタントの牧師で母親は牧師の娘であり、祖父とその兄弟はパイプオルガン奏者であった。多くの牧師と音楽家を出している血筋にシュヴァイツァーは生まれた。
  二歳年上の姉と三人の妹と一人の弟のある、比較的裕福で明るい家庭に育った。四歳から教会の礼拝に参加した。さらに五歳でピアノ、八歳でパイプオルガンを習い始め、九歳で礼拝オルガン奏者となった。
  彼の信仰心と音楽の才能は、遺伝にもよるといえる。

「肉スープ事件」
  五歳の時、学校帰りにシュヴァイツァーは友人ととっくみあいをして、馬乗りになった。その時、「僕だって、君のように毎週二回、肉スープを飲んでいたら、喧嘩に負けないよ」と言われた。それ以来、肉スープを飲まなくなり、また、父が注文した上等のマントも着なかった。誰も着ていなかったためだ。
  牧師の家庭という特権階級にあることを誇るよりも、できるだけ友人と同じようにすることに注意を払う。人々に仕えると言う精神が見受けられる。

「鐘の音事件」
  宗教改革者ルターの生涯を決定したのは、落雷だった。近くに落雷しても助かった。その時ルターは生涯を神にささげて、修道院に行く決心をする。
  シュヴァイツァーの生涯を決定したいくつかの事件の一つが教会の鐘の音である。
  七歳の頃、友人と森に行き、鳥に向かってパチンコで撃とうとした時に、教会の鐘が鳴った。それが「なんじ殺すなかれ」という神の声に聞こえた。後年、以下のように記している。
    わたしはこの日から他人を恐れる気持ちから解放された。自分にまごころからの確信があるばあい、もはや他人の意見を重んじなくなったー中略―こうした経験によって、わたしの心にはしだいに確固たる信念が形成されていった。それは絶対やむをえないばあいでなければ、ほかの者を殺したり、苦しめたりしてはいけないという信念である。  

(竹山道雄訳『シュヴァイツァー選集』2,白水社、1966年)

 

シュヴァイツァー

(シュヴァイツァー)


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