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著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

シュヴァイツァーに学ぶ   >>シュヴァイツァーの生涯(PDFファイル)

8 アフリカ行きへの決心

「聖トマス寮のわたしの机のうえに、緑の表紙の仮とじの冊子が一冊、置いてあった。それは、パリ宣教師協会がその仕事を報告するために、毎月、発行しているもので、シェルドリン嬢という人がいつも届けてくれた・・・・・私は、前の晩、自分のるすのあいだに机のうえに置かれていたこの冊子を、さっそく仕事に取りかかるためにわきへのけながら、ふと機械的に開いてみた。すると『コンゴ地方の宣教師が必要とするもの』という表題の一文が目にとまった。それは、ガボンでは、人手不足のために宣教師団は仕事をつづけられずにいると、訴えていた。同時にかれは、『主のまなざしですでにそのうえにある』人々が、このアッピールにうながされて、この緊急の仕事に助力を申し出る決意をかためてほしいものである、との希望をのべていた。その結びはこうであるーーー『教会は求めている、主のめくばせに応じて、ただちに、主よ、われしたがわん、と、答える人びとを。』
  これを読みおえると、わたしは静かに仕事にとりかかった。模索は終わったのである」(同、97-98頁)
         内的促しと外的状況
  30歳までは学問と芸術のために、それ以降は直接人類への奉仕のために一身をささげよう、という決心にもとずいて、シュヴァイツァーは30歳以降の導きを求めた。
  第一に考えたのは、ヨーロッパにおいて孤児を養い教育することであった。1903年、28歳の時に、聖トマス寮に官舎を得た時に、シュヴァイツァーはこの計画を実行しようとした。だが、それは失敗した。孤児救済団体規則に合わないことなどのために、幾つかの試みも失敗に終わった。
  第二に計画したのは、浮浪者と出所者の救済事業であった。シュヴァイツァーは実際に毎週貧しい家庭を幾つか訪問している。だが、この事業に必要な献金を篤志家から収集することが苦手であったようだ。以下のように記されている。
「わたしはときおり非常に不器用なふるまいをしたものと思うが、しかし、強気にでるよりは、如才なく、遠慮がちにするほうが、物を請うには有利であるし、断られても穏やかにがまんすることも、真の物ごいの道である、ということを、わたしは覚えた」(同、96頁)福祉事業は価値あることであるが、それを実施するには規定上個人では無理で、既成団体に加入しなければならない。また、支援者に支援を要請しなければならない。これはシュヴァイツァーにとっては苦手なことであった。
  このようにして、現実にいくつかあった福祉事業の可能性は閉ざされてしまった。閉ざされることは新たな機会が開かれることである。パウロがマケドニヤ伝道に導かれれる時も、アジヤやビテニヤで伝道する可能性がなくなった後のことである。聖書は「聖霊によって禁じられた」「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」(使徒16:6-7)と書かれてある。シュヴァイツァーもまた、神に導かれて、「完全に個人的で独立した活動」「究極的には個人として自由人として献身出きる仕事」を望んだ。それは、アフリカで医師として働くことであった。
  私たちが人生の岐路に立つ時、内的促しと外的状況を客観的に判断して、自分の思いよりも神のみちびきに従うことである。シュヴァイツァーは、希望したいくつかの道が閉ざされた頃に、一冊のパンフレットにより行くべき道を決めた。それが神の導きだと確信して。

 

シュヴァイツァー

(シュヴァイツァー)


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