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ライフワークの発見と実現


黒川知文

シュヴァイツァーに学ぶ   >>シュヴァイツァーの生涯(PDFファイル)

9 まわりから反対されて

 1枚のパンフレットを見て、アフリカへの医療伝道が神の御心であるとシュヴァイツァーは確信した。そして1905年10月、大学教員として勤務しているストラスブルク大学の医学部に入学した。大学側はシュヴァイツァーのために教員であっても無料で聴講出来る措置をした。シュヴァイツァーは学生に混じって解剖学、生理学、化学、動物学などを学び始めた。
  だが、「医師としてアフリカで黒人の救済に従事したい」というシュヴァイツァーの決意は、まわりからの以下のような非難と嘲笑にあった。
・音楽をやめてアフリカに行くのは、猟銃を担いで最前線に出かけていく将軍のようで無茶な行為だ。(パイプオルガン教師ヴィドール)
・ 勉強しすぎておかしくなった。
・ 狂信家だ。
・ 非常識で傲慢だ。(神学関係の友人)
・ 出世欲だ。
・ 失恋したからアフリカへ行くのだろう。
  特に、神学博士と哲学博士を取得して大学の教員で牧師でもあるのに、なぜ医師としてアフリカに行きたいのか、彼らは理解出来なかった。
  シュヴァイツァーは、あくまでも「直接人類に奉仕する」という愛の実践に専心したいと思っていた。また、現実的にアフリカへは宣教師としてではなく医師として行くことでパリ伝道教会からの許可が得られるという事情を知っていた。
「親族・友人、こぞってわたしの企てのおろかさを非難した。わたしは、かれらの言うところでは、自分に授けられた才能を埋もらせて、まとはずれな才能を生かそうとする人間であった。未開人の間での仕事は、学問や芸術の才能と知識とをそのために無駄にすることの出来ない人にゆだねるべきだ、というのであった」
  神の御心だと決心しても、それはあくまでも自分と神との関係によるものである。他人には理解出来ないことが往々にしてある。こういう時こそ、果たしてそれが御心なのかどうか冷静に吟味することである。それが確認できるなら、もはや他人の意見を気にすることはない。確信して計画を立てて、まっすぐに進んだらよい。御心なら必ず実現する。その実現する過程を見て、やがて他人は認めなくてはならなくなるものだ。
  シュヴァイツァーの場合、両親が早くから理解して応援した。大きな励みであったことだろう。

 

シュヴァイツァー

(シュヴァイツァー)


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