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著者プロフィール


バイブルメッセージ   

−わたしたち人間の能力ではできない仕事を、あえてさせてくださる神−

森正行氏

4.なぜ、神様は人にできないことをあえてさせるのか?

「わたしたち人間の能力ではできない仕事を、あえてさせる神」。
多くの人はこのような神観を、元々は持っていません。
また、クリスチャンであっても、このような神観を抱いている人は多くはないと思われます。
しかし、聖書の神様は、これまで見てきましたように、それぞれの人間の能力、また人間集団の能力でもできないことを、弱い者、小さな者を選び用いて、あえて実現させてこられました。

では、なぜ、わたしたち人間の能力ではできないことを、あえて神様はさせようとされるのでしょうか。

その意図、目的は何なのでしょう。

それはイザヤ書43章7節の聖書の言葉に記されています。

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、
わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

この言葉は、かつてイスラエルの民に語られた言葉であって、また今日のクリスチャンに語られている言葉です。

ここには、神様が私たちを創造した目的と「なぜ、私たちが存在しているのか」という存在目的が記されています。

「わたし(神)がこれを創造し、これを形造り、これを造った」のは、「わたし(神)の栄光のため」だったのです。

神様が私たち人間を創造され、存在しているのは、わたしの栄光のためだと、神様は聖書の言葉を通して私たちに語られているのです。

聖書に記された真の神様は、無限の愛と力と知恵に満ちています。

一方、私たち人間は愛情にも力にも知恵にも限界があります。

そして、この世の多くの人々は真の神様を知らず、信じず、自己中心で、人間の愛情と力と知恵に頼り、神様から離れて生きています。

そこで神様は、愛情にも力にも知恵にも限界のある人間に対して、神様の無限の愛と力と知恵をこの世に明らかに示し、神様から離れていた人間が、愛と力と知恵に満ちた神様の存在を知り、信じ、神様を信頼し、神様をたたえるようになることを御心とされたのです。

そのために、神様はあえて能力の乏しい者や弱い者、小さい者を選び、その人の能力を超えた働きをさせてこられたのです。

イザヤ書43章7節の言葉は言い換えれば、神様はご自分の無限の大きな愛と力と知恵をこの世に現すため、また人々がその愛と力と知恵に触れ「聖書に記された真の神様はすばらしい」と讃えるために、私たちを創造し、信仰生活を通して私たちを造り変え、今、この世で生かし存在させているのだと言えます。

誰もが認めるような、ずば抜けた能力のある人や努力家が、仕事をして成功を収めると、人々はその成功をどのように受け止めるでしょうか。おそらく、「彼だから出来た」、「彼は有能だからなぁ」、「彼は粘り強いからだ」と思う人は多いことでしょう。

しかし、失敗ばかり続けている人や、秀でた能力が見られないような人、いわゆる影の薄い人、また周囲の人たちから嫌われるほど自分勝手に生きていた人が、誰も出来なかったことを実現したり、大きな事業で成功を収めたり、多くの人の信頼を勝ち取る結果を残すと、周囲の人々はその事業達成や成功をどのように受け止めるでしょうか。おそらく「どうして彼に出来たのか?」、「彼に出来るはずがないのに、なぜ?」と驚く人や、かえって興味を抱く人が少なからず起きるのではないでしょうか。

そしてもし、そのような人が聖書の神を信じるクリスチャンであることを告白し、周囲の人が知るならば、「彼の信じる神様が奇跡をおこなった」、「神様って、すごいなぁ」「クリスチャンて、すごいなぁ」、「私も聖書の神を知りたい」と思うようになる人が起きるのです。

それは旧約聖書に記されているモーセ・ヨシュアの時代に実現している記事があります。

かつて神様は、神から離れ、偶像礼拝に陥った世界中の人々に、真の神を明らかにするために、小さく弱い民族を選ばれました。それがイスラエル民族です。

そこで神様のご計画は、当時、世界最強の軍事力を持ったエジプトにアブラハムを送り、やがてイスラエル民族が400年もの長い間、エジプトの国で奴隷となってしまうことをゆるされました。

また、奴隷となったイスラエル民族を救い出そうと願ったモーセは、40歳にしてエジプトを追放され、シナイの荒野で羊飼いの仕事を余儀なくされ80歳の高齢になっていました。

もはやイスラエル民族の能力でも、モーセの能力でも、奴隷の民を救い出すことは出来ませんでした。

それは自他共に認める事実でした。

しかし神様はモーセとイスラエルの民に対して、「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」(出エジプト記 3:10)と言われ、この言葉を実現されました。

まさに、人には出来ないことを、神はあえて計画し、圧倒的なパワーで実現されたのです。

この出来事は周辺諸国の人々に、どのような影響を与えたのでしょうか。

ヨシュア記2章8〜11節で、カナンの地にあるエリコの国に住んでいた遊女ラハブは次のように告白しています。

 

「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」

ラハブはイスラエル民族を讃えたり、その能力を賞賛したのではなく、無力なイスラエル民族と共にいる神様を「あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられる」と信じ仰いだのです。

このように告白したラハブは、イスラエルの神を信じ、この後、救われました。

これらのことこそが神の栄光の現れであり、そのために神様は民族や人を用いられたのです。

多くの神々が存在しているこの世の中で、どの神様が真の神であるのか、また神様が本当におられるのかどうか、人にはそれは見極めることが出来ません。

そこで神様は、神様の保持されている圧倒的な力や知恵、愛を、かつてはイスラエル民族を用い、今日ではクリスチャンを用いて、この世に現されるのです。

私たちの人生は、私たちが無力であっても、自己中心的で愛のない自分であっても、知恵のない者であっても、神様の圧倒的な愛や力や知恵を明らかに世の人々に示すため、そして人々が悔い改めて、神様を信じていくようになるため、つまり神の栄光のために、私たちを選び用いてくださるのです。
神様は私たちの人生、家庭、ビジネス、教会での奉仕において、具体的に神の栄光を現されるのです。

神様の栄光のために用いられる人生ほど、素晴らしい人生はありません。

祈り

「私たちの天の父よ、御名をあがめます。
  神様、私たちは今、私たちが神様の栄光のために創造され、存在し、生かされていることを教えられました。元々、このようなことを知らなかった私たちに、このように大切な真実を示してくださったことを、ありがとうございます。そして、そのために、私たちの能力では出来ないことをあえてさせてくださる神様であることを知りました。神様、このことを聖書の言葉から、もっと深く正しく理解していくことが出来るようにしてください。私たちは力に乏しいものです。無力です。また、愛に欠けた者です。そして、知恵にも欠けています。しかし、そのような私たちをも神様は用いてくださる方であることを信じます。私たちを神様の栄光のために用いてください。この祈りを、イエス・キリストの名によってお祈りします。アーメン。」

 

 

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