Back No <1> <2> <3> <4> <5> <6> <7> <8> <9> <10> <11> <12> <13> <14> <15> <16> <17> <18> <19> <20> <21> <22> <23> <24> <25> <26>



著者プロフィール


バイブルメッセージ   

−わたしたち人間の能力ではできない仕事を、あえてさせてくださる神−

森正行氏

5.神はどんな仕事をさせるのか?
(4)  ユニークな仕事
 人のまねをする必要はありません。
理想の人と同じようになることを目指したり、誰かと同じでなければならないと思う必要はありません。
神は人間一人一人を、ユニークな、個性的な存在として創造されました。

 私たちは、親や指導的立場の人から、「○○さんと同じようになれ!」と言われたり、「どうしてあの人にできて、あなたにはできないのか?」と言われることがあります。生まれ育った環境によっては、子どものころから父親や母親から言われ続けてきた方もおられるのではないでしょうか。「私はこうしてきた。おまえも同じように頑張れ。」と。
会社内でも、成績の優秀な人をモデルとして立て、同じような人になることを指導する職場は数多く存在します。

 確かに人生には、模範者となる人と出会うことは大切ですし、心の中で模範者を立てることも有益ですが、その人と同じようになる必要はありません。
 神は、私たち一人一人を、同じような人になるのではなく、皆違うけれども、それぞれ特色のある充実した仕事をさせて下さる方です。
 また、一人で何でもできるスーパーマンとなるのではなく、一人一人がそれぞれ特色のある仕事をしつつ、そのような一人一人が互いに協力することによって、さらにより良い仕事・事業をしていくように神は計画しておられます。
だからこそ、一人一人がユニークな存在であり、その仕事もユニークであって良いのです。

 神学校で学んでいる時、「欧米の会社組織は、教会の組織がモデルになった」と聞いたことがあります。
 会社組織も教会の組織も、監督者・トップリーダーがいて、役員や執事にあたる中間管理職がいて、多くの社員・信徒がいることを思えば、欧米の会社組織の形成の背景には、2000年前に生まれた教会の組織がモデルであったかもしれません。

 そうであっても、たとえそうでなくても、神は私たち一人一人の人間と教会のことを次のように語られました。

一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
ローマ人への手紙12章4〜9節

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
コリント人への手紙第一12章5〜27節

 上記の2箇所の聖書の言葉は、体の手や足、目や鼻、五臓六腑にはそれぞれ特色があるように、教会に集う一人一人が、それぞれ、ユニークな存在であって、かつ、誰もが必要とされている存在であり、さらに、お互いに助け合う存在であることが記されています。神はそのように人をお創りになり、また互いの存在と協力が必要不可欠であるように人を創造されました。

 ただし、注意すべきことがあります。「一人一人がユニークな存在であるならば、私の特色は何だろうか? 私は接客が得意だから営業をしよう」等と、得意分野を天職のように思い込み、苦手な分野は避けるような職業観です。あなたがクリスチャンであるならば、あなたがどのような仕事・事業をすべきかも、それは神が愛をもって支配されています。自分の得手不得手で職業選択・事業選択をするのは誤りです。
 これまでにも述べたように、神はその人の苦手な分野にあえて進ませ、仕事や事業を成功させ、神の栄光を現すことを好んでされます。
私たちは自分好みの職業観になりやすい傾向に注意し、神に祈りつつ、自らに用意された仕事を待ち望むこと、または既に置かれているポジションで何をさせていただくべきか、祈りつつ神の導きをいただいていくことです。

 私たち一人一人が、自分中心にではなく、神中心に生きていくことを聖書から学び、また神が大切にされていることは何かを知り、これ選び取っていく時、神によってユニークに創造されたあなたは、神の導きによってユニークな働きをさせてくださるようになります。それは結果として、他の人にはまねのできないようなスペシャリスト=Aプロフェッショナル≠ノしてくださるのです。

top

Copyright (C) 2004 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.